◆田中英道『誰も語らなかったフェルメールと日本』を読み解く

 


※要旨


・フェルメールは、デルフトに1632年に生まれています。


・デルフトはオランダの南西部、
現在で言えばロッテルダムとデン・ハーグの中間に位置する街です。
オランダはこのように、
日本が唯一、貿易を許していた国でした。
イギリスはいません。


・1624年に商館を閉鎖して日本から撤退しています。
日本はイギリスではなくオランダを選んだわけです。
そういう意味でも、
オランダは日本に対して、強い、あるいは、
太い絆を持っていました。
フェルメールを解く重要な鍵です。
デルフトは海辺の小さな都市でした。


・しかし、オランダの他の海辺の都市である
デンマークやアムステルダム、ライデン、
ロッテルダムと同じように、
貿易商人たちが活躍する街でした。


・フェルメールの父親レイニェル・ヤンスゾーン・フォスは
絹織物職人でした。
絹は、まさに東洋から輸入されていた物産です。


・フェルメールの父親は、絹織物職人を本業とする
一方で宿屋を営んでいました。
港のある街の宿屋といえば、宿泊客は当然、船乗りです。


・フェルメールの絵に登場する
多くの男性は、その服装からもわかる通り、
みな貿易船員、あるいは海軍に従事する人たちです。


・さて、なぜユダヤ人の存在が重要なのでしょうか。
11世紀以降、国家を持たないユダヤ人は、
貿易商としてすでに北半球全域に分布し、
独自のネットワークを築いていました。


・しかし、徐々にイタリア商人をはじめ、
国家基盤を持つ後発の他民族商人に、
権力的な采配によってシェアを奪われていきます。
そこでユダヤ人が生き延びるための活路を見出した事業が、
金融でした。


・ユダヤ人は、「ディアスポラ」つまり「流浪の民」
と呼ばれることがあります。 世界中
に離散しているのがユダヤ人の特徴です。


・各地域に生活は依拠しながらも
ユダヤのネットワークは強く維持され、
ユダヤ人は世界情勢に関する情報を
非常に多く持つ人々でした。


・海外貿易を軸として十七世紀に資本主義が勃興するのも、
金融を握るとともに、
情報収集能力に長けていたユダヤ人たちのおかげ
だと言うことができるでしょう。

 

 

※コメント
日本にはフェルメールの好きな方が多い。
いろいろな共通点が
日本にあるのかもしれない。

 

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