セピア色のサティアン外観があり、裏表紙はサティアン内部が映っている。施設が解体された後の廃墟の様子。写真を見て、自然と頭の中のベクトルは、剣崎が生まれた時の過去へと遡り、インパクトを与えた出来事の数々を思い起こす。
1985年、11才。日航ジャンボ機墜落事故。新聞に掲載された墜落現場に衝撃を受けた。
1989年、15才。ベルリンの壁崩壊。激動の世界情勢に関心を持ち始めた頃だった。
1990年、16才。湾岸戦争。蛍の大群が宙を舞っているかのような、謎の飛行物体(ミサイル)が飛び交うテレビ映像に衝撃を受けた。
1991年、18才。ソ連邦解体。世界情勢が大きく変わったのを目の当たりにした衝撃が忘れられなかった。
1995年、阪神淡路大震災。地震発生直後の神戸の市街地が火が立ち上り、黒煙が上がった被災状況に衝撃を受けた。
そして、本書で取り上げているオウム真理教による、地下鉄サリン事件と続いた。
その後、
アメリカ同時多発テロ事件
イラク戦争
イラク日本人人質事件
東日本大震災
こうした事件は剣崎にとっての10大ニュースとなった。悲惨な事件の数々だが、今となっては、そうした事件にタイムトリップするたびに、剣崎がどんな環境でその時代を生きてきたかが、懐かしい風景と共に思い出される。悲惨な出来事なのに、
「懐かしい?ってどういうことだろう。」
不謹慎と言われるかもしれない。これって不思議な感覚だ。
中身を少し読んでみた。前半は教団幹部の早川紀代秀が語っている内容だった。幼いころからの生い立ちから振り返り、オウム真理教に関わってしまった経緯を話していた。そして、オウムの過ち、早川の過ち、グル麻原のポアの教えがなぜ過ちなのか?などを語っている。最後に現在の心境として遺族に対する深い反省とお詫びの言葉で締めくくられていた。後半は、宗教学者の川村邦光が、獄中の早川被告の視点に立ってオウム真理教とその事件を論じている内容だった。
人は誰でも、人生の巡りあわせによっては、こうした重大事件に加担する可能性は一ミリだってある。巡り合わせとは、住む土地、付き合う人、生まれた時代のことだ。だから、二度と起きることが無いように、また起こすことが無いように、オウム事件は社会の教訓として風化させたくなかった。
だからほんの少しだけ、自分なりに書評として紹介した次第だ。