あきら影オフィシャルブログ「なんでも屋」 -2ページ目
おはようございます!
今日の話はいい話だと思う。
最近の中ではかなりいい感じの話。
これを聞けるあなたは運がいい。
とか言うてますけども、
まぁ楽しんでもらえたらと思う。
今までの時代を生きる上でビビッと来た。
という表現がある。
電気が走るとか、降ってきたとか
いろんな表現が使われる。
これはこれで素晴らしい判断材料だと思う。
しかし、これからの時代というのは
パっとかピっと来るというのが正解だ。
これいい話じゃない?
ビビッと来たというのは、
個人の判断の中に、個人と社会人の
2つの軸が要り混じっているように思う。
社会的に認められること、他人に説明できること
こういった外側に認められることに
価値を置いてきたのだ。
1人ではなかなか生きられなかった昭和平成時代に
おいて、他人という存在はやはり必要だった。
今の世の中でも他人は必要であり、
1人で生きているわけではない。
それはそうなんだけども、
社会人>個人というのが平成までの価値観。
これからは
社会人<個人となる。
なので、これまでのようなビビッとに
頼るよりももっと直感的に
パとかピが重要になるように思う。
好きピとか推しピとか
言っているのもそういった感覚が
あるのでないかと思っている。
ただ、この通りだとしても
パっで選べるかどうかで言うと
かなりの確率で難しいだろう。
まだまだ恐れの感情を持ってしまうからだ。
なので、直感の中でもさらに直感的に
思わずやってしまったとか、以前なら
選ばなかったというものが望ましいと思う。
つまりパピコである。
言い負かすと気持ちいい。
と思っていた。
なんかスッキリする。
論破というやつだ。
何も言わない。
言う必要もない。
思ったことを言う必要がない。
だけど言いたい。
そんな矛盾を抱えて生きる。
なにも言われなくなる。
言われなくてもすでに出来ている場合と、
言っても無駄だと判断された時。
この2つの違いというのを
自分で判断するのはすごく難しい。
出来ているつもりになる。
言っても無駄だと判断された場合に
どこまで行くかというと
行けるところまで行ってしまう。
その前に止めてくれているのだが、
気付かないから言い方が強くなる。
聞かないから言っても無駄だとなる。
それでいいと思うようになった。
後悔するのも、成果も自分のもの。
どうなるかは分からない。
大成功するかもしれない。
そんなに大した違いはないんだろう。
なんかこうあって欲しいが
あるので、そっちは行かない方がいいよと
本気で思っているのだが、その人が
そっちへ行きたいなら止めない。
止めないことが尊重することなのかと。
優しいとはなにかを考えると
尊重することかな。
なんかコメントってむずかしい。
おそらく書いていない意味で
捉えられることもあるし、
なんか敵意のあるコメントとかに
捉えられることもある。
ブログに限らずだけども
言葉によるやり取りが主流である昨今。
特に書きたいことを書くという
ブログやSNSにおいて、コメントも
好きにすればいいじゃないかと思う。
しかし、実際に自分がコメントを受けてみると
とんでもない破壊力がある。
これはすごいなあと思うのは
受け手にならないと分からないダメージである。
それを踏まえて上でも、
やっぱりこちらもなにげない言葉とかで
やってしまっている時がある。
なかなかに反省するんだけども
気がゆるんだときにやりがちになる。
コメントは先生に対して
質問や意見するような感覚で
言うのがいい感じになるなぁと
今日思った。
何回か練習してみて
SNS上でのコミュニケーション能力を
身に付けたいと思う。
おはようございます!
これはなかなか閃いたといっていい。
たまにこういう瞬間があるから
思考というのはやめられないんだよね。
いろんな仕事や趣味や人生があると思うが
こういった瞬間があるからやめられない
というものがあるんだよね。
無理だから諦める。
これは結構生きていて聞く言葉ではないかと思う。
これってなんかすごい納得というか
そうかって感じに思っていた。
しかし、無理と諦めるというのは
=ではないということに髭剃りしていて気づいた。
無理だと思うんだよなぁ。
というのは本音であって、嘘はない気持ちだろう。
しかし、諦めますか?と聞かれると
諦めませんとなる。
これも本音であろう。
これを傍から聞いた人はどっちなの?
ってなるんだよね。
特に不安定な時というのは他人に相談しやすい。
このタイミングで選択を迫られると
謝った選択を取りやすいのだ。
無理だと思う。
⇒だから諦める。
なのか、
無理だと思う。
⇒でもやってみたい。
なのか。
早く決断を迫られることが多い現代。
時は金なりというよりも、ビジネスとして
なんか即断即決が素晴らしいといった価値観と
優柔不断は悪であるかのような
自分自身に対する植え付けられた無価値観による
切迫感などが原因なんだろうなと思う。
若い方がいいという価値観は
わたーしも納得できる部分がある。
しかし、決断というのはもっと慎重になっていい。
だが同時にチャンスは流れ行くのも事実である。
なので、自分を2つに分けること。
わたーしの場合は、靈と魂で分けている。
この2人は白と黒でイメージしている。
片方は無理だと判断する。
もう片方は諦めないを選択する。
どちらも間違っていない。
この2人を混ぜないようにする。
管理するというほどでもないが
どちらも本音であり、本心である。
決して敵では無くて
味方なのであるということを認識すること。
無理と諦めるというのは
=ではないこと。
ここを=にしてしまうと、
自分と違う意見に対して敵対視してしまう。
無駄な争いが生まれてしまう。
意見と人格は別とか言うけども
これってそもそも理解している人は
いいんだけども、理解しにくかったんだよね。
一貫性を持とうとしてしまうので
2人に分けるということが良いと思うのだが
スパイラルになっていくんだよね。
それで結果的に一つに道になったり
傍から見た時に人生という
名前になるのだろうなと思う。
なんか政治に興味があるかというと
そんなにないんだけども、シンプルに面白い
ということで見ている。
全体的になにがしたいかというと
戦争したいわけだ。
人も減らせるし、支配者層は儲かる。
なので、とてもいいビジネスになる。
なので映画だと思って
楽しんでいるくらいで見ている。
政治家が~とか言うんだけども
実際に目の前に現れたら
多分好きになるだろうなって思う人が多い。
カリスマ性とか会ったらすごいと思うんだよね。
あの人たちは公式の人気者である。
町中に張り紙して、みなさんの生活を良くします。
とかやっている。
普通のメンタルならまず出来ない。
それをやっているのだから
相当変わった人たちなんだろうと思う。
ただ演説とかは他の人が考えているかもしれないが
やはりずっと言っていると、なんかそんな気に
なってくると思うんだよね。
にも関わらず、実行されなかったのは
やはり仕事となると、もっと上の存在から
止められてしまうのだろう。
国ってなんだろうって思うときがある。
政治とはなんだろうか。
テレビとかネットがあるから
こうなっているんだなあということを
なんとなくでも知ることが出来る。
しかし、もっと昔なら
国がどうなっているとか、お隣の国が~とか
分かることは少なかっただろう。
それでも生きていけたのだから
これからも別に生きてはいけるだろう。
なんか日本人の感覚で世界を見ているので
なんでこんなことになるの???
ってシンプルに疑問が湧いてくる。
日本人の民度はやはり高いんだろうなって思う。

