懺悔2 〜戦争の罪と罰〜 編 | Jykell のブログ

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(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾

~懺悔2~ 戦争の罪と罰・編

ごめんなさい。
中学のとき、本物の人骨をクラスの女子の机にばら撒いてパニックに陥れたのは俺です。
(中3)

ごめんなさい。
美術教室の水道の蛇口を引っこ抜いて階下まで水浸しにしたのは友達のT君・・
ですが、差し向けたのは俺です。(中1?)

ごめんなさい。
小学校の女子トイレの水洗タンクに赤い絵の具を溶かして女子を絶叫させたのは俺です。
(小4?)

ごめんなさい。
教室の灯油ストーブに花瓶で灯油を直接注ぎ込み、着火&気化爆発させたのは防火係の俺です。
自分を含む友人二人に顔面大やけどさせたのも俺です。
その数日後、公開模試の会場へ顔面包帯ぐるぐる巻きのミイラ男状態で遅刻して入り、
隣の席の他校の生徒に「ひっ!!」と声にならない悲鳴を上げられたのも俺です。
(中3)

ごめんなさい。
5階建ての校舎の屋上のフェンスから外へぶら下がり、職員室から全校放送されたけど出頭しなかったのは俺です。(小5?)

ごめんなさい。
校内でデタッチャブルエアガンで銃撃戦を行い、
卒業式まで銃を格納するアタッシュケースを押収されたのは俺と友達3名です。
階段を利用して高所から敵を狙撃する方法が有効で
「高さを制するものはイクサを制す」を学びました。
(小5)

ごめんなさい。
子ども会の夏祭りでお寺の入り口にあったコンクリート製のお地蔵さんの首を強化爆竹でふっ飛ばしたのは俺です。
なぜか名乗り出てくれた名前も知らない子、ごめんなさい。(小3)
(罪なき冤罪を学ぶ。)

ごめんなさい。
熊野神社で行われた隣町のクソガキ共との花火戦争で、敵陣から投げ込まれた爆竹の
導火線の長さを瞬時に判断し、素早く拾って敵陣へ投げ返し、武勇伝を残そうとしたら
味方の戦友の顔の近くで爆発し、しばらくそいつの耳を聴こえなくした挙句、指2本を負傷したのは俺です。
即座に衛生兵を呼び、野戦病院にて治療しました。
(草の葉っぱを巻いただけ)
(小3か4?)

追記:あの頃の俺たちの自転車にはロケット花火を水平に発射できるストローがセロテープで巻いてありました。
対人ミサイル装備だったわけですが、命中精度が極端に低く、
実戦投入には至りませんでした。
セミドロップのハンドル周りにズラッと5.、6本のミサイルを
並べ、その状態で敵地(隣町)を走り、威嚇しつつ、抑止力をも狙う高等戦術でした。
(きたちょーせんとか、今のにっぽんはあの頃の俺らの小3レベルなわけです。)

ちなみに点火装置には入手が容易、かつコストが安く、強風にも消えない金鳥社製の渦巻き型蚊取り線香を制式採用しました。
これは停戦中の時、虫除けにも使える汎用性の高い武器でした。
なおかつ、いちいちマッチで点火する敵陣営に比べ、我が軍は発射、及び連射性能で、圧倒的なアドバンテージを誇っていました。
(すぐに真似されて軍事的パワーバランスは均衡を保ちましたが。)

ごめんなさい。
中2年のとき、授業中に突然、刑事に連れ出され、当時アジトにしていた廃墟のボーリング場「スターレーン」
に連行され、このモデルガンはお前たちが盗んだのか、と詰問されたけど、あれは俺たちじゃないです。先輩のYミツルさんですw
あの改造モデルガン(発砲できる)コルトパイソン357マグナムを刑事に見せられた時は心底人生終わったと思いました。(中2)
(国家権力の傲慢さと冤罪の意味を再び学ぶ。)

ふう・・・。
こんなとこかなぁ。 まだあるかなぁ。

また思い出したら懺悔します。