最近note記事でダラダラと語るようになって、記事そのものではなくて、新たに楽しんでることがある。

 

それは文体。

 

評論のようにえらそうに語るのが楽しいw

 

例えば、ジェジュンのエッセイも、本として成り立たせるために、いわゆる公用文で構成されてる。

 

私の記事は別に公用文で書く必要はないし、書いてもないけどね。

 

でもひたすら淡々と思うことを書くっていうのが楽しい。

 

今まで自分が見聞きしてきた文章表現を気楽に使うことも楽しい。

 

もともとブログやXなども、若干書物のように書く傾向はあるので、男か女かわからないような時もあると思うんだけど、そういう語り口で文章を書くのが好きなんだよね。

 

だから、思いっきりそうやって書くのが楽しい。

 

人によっては少し難しく感じることもあるかもしれないけど、読書とか好きな人ならそういう感覚わかってくれると思うぜ。

 

 

 

それからもう一つ、漢字表記をどうするか。

 

これは字幕つけたりする時に、以前から悩みの種でもあった。

 

”歩いていく”なのか”歩いて行く”なのかとか、”ひとつ”なのか”一つ”なのかとか。

 

そういうのが死ぬほどたくさんあるんだよ。

 

ひらがなだらけでも漢字だらけでも見にくいし。

 

そういうの、調べてみると公用文ではある程度決まりがあるので、それに沿って書くことにしたんだけど、それでかなりストレスが減ったのよ。

 

そんなこともストレスだったんだなと思う。

 

もちろんどう書いても問題ないんだけど、意外に悩むところなんだよね。

 

note記事書くようになってますます引っかかるようになったから調べてみたら、やっぱり物を書く人たちがぶつかる問題なんだって。

 

今まで感覚でやってて、たまにどうしてもおさまりが悪くてしばらく悩むことがあったので、そこをもう気にしないで書けるのでだいぶ気が楽になった。

 

さっきも言ったけど、基本は自由でいいんだけど、勉強して先人の教えを参考にすると楽になるもんだ。

 

そのほうがかえってストレスなく自己流を構築できる。

 

勉強ってそういうことだね。

 

 

ということで、これからも私らしくあまりキャッキャしてない文体でジェジュンを語っていこうと思うぜグラサン