大宰府〔太宰府〕の在る筑紫の地は弥生時代の頃から大陸との貿易&交渉の中心地でした。
その後の大和朝廷統一後も大宰府は重要さを増し発展し平城京や平安京にも負けないほどの
大都会へとなっていきます。そもそも大宰府と言うのは大和朝廷の地方行政庁の事でしたが
九州の大宰府だけがその呼び名が残ったそうです。大宰府〔都府楼〕は七世紀に造られ今は
広い跡地が残っています。
大宰府〔都府楼〕の入り口に南門が在りましたが復元図を見ると大きな門の様です。
南門の跡地には礎石が並んでいます。
続日本記に「人物殷繁にして天下一の都会なり」と書かれるほどに栄華を誇っていました。
今は広い草原に礎石が並んでいて往時をしのぶ事ができます。
大きくなるに従い権力も強くなり「遠の朝廷」〔とおのみかど〕と呼ばれていました。
そんな大宰府も天慶4年〔941〕に大和朝廷に反乱を起こした海賊の藤原純友に攻められ大宰府は
焼け落ちてしまいます。その後再興をしますが以前よりは街は小さくなったようです。
大宰府跡地の近くに 天台宗の観世音寺が在ります。この「府の大寺」は実に80余年の歳月を
かけて完成しました。観世音寺の本堂
かっては330m四方の寺域を占め、講堂、金堂、五重塔等の建物がありました。
阿弥陀仏堂
観世音寺には創建以来の梵鐘が伝わっていて国宝に指定されています。
製造年が968年と分かっている京都の妙心寺の梵鐘と兄弟の鐘と云われています。
鐘楼は思っていたのよりこじんまりとしています。
大晦日の除夜の鐘を撞くので1300年を経た鐘の音を聴いてみたいですね。
次回も大宰府の散策の記事が続きます。