スピ系のための聖書講座「創世記1:3」 | Hideo ♰ の悔い改めるブログ

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創世記1:3 そのとき、神が「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。

 

この節の光という単語は、原文では、

 

אוֹר

オウル

a light

 

という風になっており、

 

光=イエス=みことば

 

であります。この節の光とは、太陽の光のことではなく、全ての被造物を創られた御子イエスさまのことを言っています。この節を解き明かした箇所が以下です。

 

ヨハネ福音書1章

  1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
  2 この方は、初めに神とともにおられた。
  3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
  4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
  5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
  6 神から遣わされたヨハネという人が現われた。
  7 この人はあかしのために来た。光についてあかしするためであり、すべての人が彼によって信じるためである。
  8 彼は光ではなかった。ただ光についてあかしするために来たのである。
  9 すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。
  10 この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。
  11 この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。
  12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
  13 この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。
  14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
  15 ヨハネはこの方について証言し、叫んで言った。「『私のあとから来る方は、私にまさる方である。私より先におられたからである。』と私が言ったのは、この方のことです。」
  16 私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。
  17 というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。
  18 いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。

 

ヨガ行者の人達なども、「ほら、ごらんイエスが来ているよ。」などと、瞑想会などでイエスとのヨガ体験談を語ったりしますが、そのようなニューエージの偽イエスと本物のイエス様は、まるで別人です。

 

  4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。

 

とみことばにありますが、このいのちの光に触れた、見た、ということになれば、クリスチャンに改心したいと思わされるほど素晴らしいものです。フリーメーソンリーやヨガの神秘体験など「くそ」も同然のちりあくたと見なすものです。イエスとの出会いは、人生最大の衝撃か最大の不思議としるしと癒しなのです。

 

これこそが聖書の学びなのです。イエスに学ぶこと、触れてもらうことです。

 

在主