なりたい自分を叶えるために、私は「習慣化」というスキルを磨くべきだと思います。


「習慣化」とはなにか?


簡単に言ってしまえば、

無意識に行動や思考を繰り返す状態」

という事なのですが、「努力」と混同する人が多くいます。


「習慣化」という言葉の捉え方は、ここでは非常に大事ですので慎重に説明したいところです。


少し遠回りします。


ここで日本プロ野球、アメリカメジャーリーグで様々な記録を残した稀代の野球プレーヤーイチローの言葉を引用しましょう。 


"努力せずに何かできるうになる人のことを「天才」というのなら、僕はそうじゃない。

努力した結果、何かができるようになる人のことを「天才」というのなら、僕はそうだと思う。
人が僕のことを、努力もせずに打てるんだと思うなら、それは間違いです。"


体格的にも大谷選手の様に大きくなく、名プレーヤーの父親を持っている訳では無いイチロー。才能ではなく努力により自分の野球スキルを磨き上げ、世界の球界の頂点まで登り詰めたイチローはまさに努力の天才だったのでしょう。


そんな努力のイチローは「努力」ということについてこんなことも言っています。「努力って報われますか?」と問われた時の彼の回答です。


"報われるとは限らないですね。もっと言えば努力と感じている状態はまずいでしょうね。その先に行けばきっと人には努力に見える、でも本人とってはそうでないという状態が作れる。そうすれば勝手に報われることがあるんです」''


努力はするが努力を努力と感じているのはまずい。これは一体どういうことでしょうか?

実はこの努力を努力と感じないことが習慣化のスキルを身につける心構えとして非常に重要になります。


この機会に国語辞典で調べてみました。

努力とは、

〘名〙 力をこめて事をすること。あることを成し遂げるために、休んだり怠けたりすることなく、つとめ励むこと。また、それに用いる力。


要するに、


努力=目標実現のために苦労して頑張ること


ということです。


それでは「努力を努力として感じない」というのは、努力を苦労して頑張ることと思わないと言い換えられるのではないでしょうか?


 イチローが毎日コツコツ鍛錬を続けられた。

それは傍から見れば努力に見えたが、自分では努力は努力と思っていなかった。


これが習慣化の目指すべき状態と考えてください。


この状態に自分自身を意図的に持っていくこと、それはスキルが必要です。


毎日酔っ払って帰っても歯を磨く。

次の日朝早ければ目覚まし時計を合わせる。

帰ってきたら手を洗う。

誰かに会ったら挨拶をする。

お釣りをつけとったら財布にしまう。


我々はこれらをなぜ毎日苦もなくできるのでしょう?

習慣化されていることは沢山あります。

そしてこれらは努力しているわけではありません。


ここではそのスキルを記して、1人でも多くの人に自分が成長する喜びを感じてもらうよう、「習慣化」を通じて少しでも人生を豊かにして貰えたら幸いです。


楽しみましょう!