和泉名所図会は江戸時代、旅行ガイドブックの様な役割を果たした。
当時の名所や建物の位置がわかりやすく記されているため、かつて大鳥神社の境内にあった神宮寺の五重塔の位置と共に明治期の大鳥美波比神社の位置について想像してみたい。

和泉名所図会 第4巻の大鳥神社のところには、行基開基の神宮寺が描かれている。

五重塔の前に中の島(現在の菖蒲園)が描かれていて、現在の位置と対比することができる。


明治維新の廃仏毀釈により神宮寺が廃止され、明治6年に北王子村から大鳥美波比神社が遷座してきた。明治12年には五重塔跡に再び遷座し、昭和9年から現在地に鎮座されている。
当初の鎮座地は式内社「国神社」の旧鎮座地 大阪府堺市南区鉢ヶ峯寺と伝わります。

下の写真は石の鳥居が同一であることから明治35年頃に撮影された大鳥美波比神社と考えられている。池が写っていることから五重塔の位置と合致するが、中の島に渡る橋の位置が異なっていて若干の違和感がある。(加筆修正しました)



大鳥神社は大坂の陣による兵火や堺空襲により何度も消失しているため、本殿の向きも変わっている。


東側の鳥居から真っすぐ伸びる道がメインストリートだったようだびっくり