お久しやー、ジャッキーです

ちょっと暇だったんで攻殻機動隊をなん十回目かの見直しをしていました。(勉強しろし)

そこであることに気が付きました。

23話のクゼが難民の上部構造への移行を出島でじいさんに話している場面で白黒カラスが月を背景に飛び立つ場面、最後に羽根が落ちてくるじゃないですか、あれ見てふと「これってGost in the shellのあのシーンに似てないか?」と思ったんですよ。

あのシーンというのは最後に少佐が人形遣いとの融合の際に人形遣いの繋がる膨大なネットが少佐にとって光と羽根に認識されているシーンです。

当初何回見直しても久世の語る下部構造から上部構造への移行の話が抽象的過ぎて理解できていなかったんですよ。しかし、今回この類似点を見つけて勝手にこう考察しました。

久世の考える「革命」と少佐の行った上部構造への移行は同じことを意味しているのではないかと…

少佐の行った上部構造への移行は「人間」という殻を捨て、人形遣いと融合することによってネットの中で生きる新たな生命体として存在し、生命そのものの情報化に成功した。つまり、ある意味人間としての「革命」だったのではないかと、こう考えました。

久世の考える「革命」とこの「革命」、あのシーンの類似性から久世の革命もここに起因するものがあるのではと考えた、久世は自身の「革命」をヒエラルキーからの脱却、常に下部構造(現在のネット)へ反作用を及ぼす上部構造へのシフトと言っている。

ヒエラルキーからの脱却とはつまり人間の作り出した社会構造からの脱却、現在のネットとは社会構造の一部としてのネット、それへの反作用ということは社会構造として機能していない新たなネットの存在なのではないかと考えました。

しかし久世はこの抽象的な原案だけがあり、アニメで語ったその時点では具体案までこぎ着けてはいなかった。

そこで具体案、現象としてそこに起こった上部構造への移行としてGost in the shellの少佐の行ったことが上げられたのではないか?

少佐の行った上部構造への移行は「人間」という殻を捨てること、人間の形成する社会構造から脱却し新たなネットの世界で生きることだった。また、人間社会の一部として存在するネットから生きる世界そのものへとネットが上部構造へと移行している。ネットを社会の一部として享受しているものにとってネットこそが世界の全てとなっている存在は様々な影響を与えることだろう。

これこそが久世が目指した「革命」が現象として現れたものなのではないかと考えました。故にあの絶妙な場面で類似した表現を使用したのではないでしょうか?

つまり久世の目指す「解放」、「革命」とはつまり難民が国民へと変わる人間の作り出した社会構造上でのものではなく、本質的なヒエラルキーや人として低きに流れようとする性などからの脱却を意味するのではないだろうか?

ここまで見てくださった方にはもれなく私と攻殻機動隊を語り合うことができます、やったね!

嘘です、攻殻機動隊を語り合える友達がいないだけです。そんな嫌な顔しないでくれ

何か感想とかあったらどしどし、語り合いたいとかだったらもう大歓迎です。

長文失礼しました、つたない文章をここまで読んで下さってありがとうございます。

追記

あの白と黒のカラスは郷田とバトーの時は内閣情報庁の背広組と久世を表しており、出島での久世とじいさんの時は難民と久世を表してるんじゃないかなーとか考えました。