妻子持ち、住宅ローンたんまりかかえたまま、サラリーマンをやめて無職から再出発したアラフィフ男の自己の再生と夢の実現への道を綴った日記。今はフリーランスでWEBデザイン、動画制作、CIの仕事と、幼稚園でのアートワークショップ講師を仕事にしています。
仕事で使っているMac Studioが、購入して1年3ヶ月で突然電源が入らなくなった。雷が落ちた様子もなく、原因はわからない。Apple製品をもうかれこれ25年以上使っていて故障を経験したことがなかったので、Apple Careなる保険には入っていなかった。それがとんでもない間違いだったことに今回思い知らされた。1年間の保証期間が過ぎ、且つApple Careに入っていない製品、特にこのMacStudioに限ってはAppleでは修理すら受け付けてもらえないということなのだ。唯一、正規代理店であるカメラのキタムラが修理を受け付けてくれ、故障した愛機を預けてきたが、初見で見た限り原因を特定するところから難しい事例らしく、修理ができるかどうかすらわからないらしい。できたとしても高額に違いない。そもそもなんで故障したのか。発売直後のモデルを買ったから、初期ロット不良なのか?寝てる間に雷が落ちたことに気がつかなかったのか?この夏の高温でやられたか?いずれにせよ、運が悪すぎる。最近、いろいろ予期せぬ出費がかさんでいたところに、これでもかの仕打ちである。人生はなぜこんな試練が多いのか。呪われてんのかな。息子が呪術廻戦を見たがることすら不吉だ。そんなことをクヨクヨ考えてしまう。僕は昔の考えのままだったので、電化製品は壊れても修理してもらえるものだと思っていた。でも、最近の製品、少なくともApple製品に関してはApple Careの購入が必須であり、それがないと修理すらしてもらえないと心得ておかなければならない。少し理不尽な気もする。Apple製品を使いたければ服従するしかないなんて。愛機が帰ってくるのはいつになるのかわからない。診断だけで最低2週間かかるということだ。治るまでの間はセカンドマシンで頑張るしかない。もはやAppleの奴隷なんだなと思い知らされたのである。
家族でハワイアンズへ行った。1泊2日の小旅行。屋内プール、温泉、モノリスタワーでの宿泊と食事。どれも満足だったが、僕にとっては夜に見たファイヤーダンスとフラダンスのショーが一番印象的だった。フラダンスって、よく見ると一つ一つの動きに意味があって面白い。波、風、太陽など自然を表現した動作。網を引く、仲間を呼ぶ、化粧をする。生活の中の動作。それを愛おしそうな笑顔をたたえながら繰り返す。自分たちの日常生活にある些細なことを愛してやまない気持ちが伝わってくる。土着の伝統芸能だって、最初に振り付けを考えた人やそれを洗練させた人がいるわけだ。その人の気持ち、何を表現しようとしたのかを想像しながら見ると面白い。芸術とは保存された誰かの記憶。プロの振付師など、個人の表現ではなく、誰とも知らない市中の人の記憶が伝承され今も伝えられていると思うとなかなか味わい深い。息子はイケメンマッチョ5人のファイヤーダンスに圧倒された様子で、体でリズムをとりながら食い入るように見入っていた。帰り際におみやげ屋さんでファイヤースティックを模したおもちゃをお母さんにおねだりし、部屋へ帰るなり半裸になりファイヤーダンスショーが始まったのだった。
普段あまり見ないテレビをつけて、たまたまやっていた「Youは何しに日本へ?」を見ていた。日本の佃煮文化が大好きなイギリス人女性シェフが日本に密着取材。日本に招待され、老舗の佃煮店で本場仕込みの佃煮の作り方を学ぶ。佃煮は奥が深い。僕も昆布の佃煮が大好きなので自分で作ることがあるが、市販の佃煮みたいにやわらかく作るのはむずかしいのだ。醤油と砂糖だってこんなに入れるのかってほど入れないと味がつかない。老舗の職人はまず昆布を水で戻す時から酢や塩などを使う。下茹でもするし、戻した時に出たダシを煮る時に戻したりするし、お約束の60年継ぎ足し継ぎ足しした秘伝のタレも使う。新しい発見がたくさんあってつい見入ってしまったが、何よりも圧倒的だったのが、このイギリス人女性の佃煮に対する情熱だ。よくもまあこんな地味な文化にここまで魅力を見出して入れ込んだものだ。というよりも、われわれ日本人が自分たちの文化の豊かさに気づいていないのか。浮世絵、漫画、アニメなど、海外からの評価によって日本文化を見直すということがしばしばある。自分の近くにあるものの良さは見えないんだな。自分の良さなんて、もっと見えない。
毎日書こうと決めたのに、8日目以降5日間もサボってしまった。我ながら情けない。日記、ブログにチャレンジするのはもう何回目だろう。毎回15日目ぐらいで終わっている。続けられない…。毎回、始めようと思ったきっかけはさまざまである。アフィリエイトで稼いでやろうと思ったこともあるし、純粋に日々の記録を残しておきたいと思ったこともある。今回に関しては、さらに純粋に「文章を書きたい」「書けるようになりたい」という衝動が湧いたからだった。仕事柄、コピーライティングやWEBライティングなど、文章を書くことも多い。でも、そういうことではなく、もっと自分の心の中にあることとか、普段考えていることとかを文章にして表したい、という願望があった。facebookで長文投稿はどうも嫌がられるようだし、仕事がらみの知り合いも多いので、投稿内容にも忖度してしまう。思い切って本音を書いてみてもいまいち反応が悪く、かえってさみしくなってしまう。そんなことを繰り返しているうちに、ブログならば好きなことを好きなだけ書けると思ったのだ。しかし、なんでもそうだけど、コツコツ続けるって大変だよね。ブログだけじゃなく、絵を描くこともそうだし。でも自由に表現できるようになれたら楽しいだろうなって思うよ。この前、敬愛する布袋寅泰さんの「Fly into your dream」のギターソロ部分の動画を久々に見返したけど、あんなふうに即興で自分を表現できたら楽しいだろうなって思う。そんなふうに自分を表現するツールを自由自在に使いこなせるようになるには、やっぱりコツコツと日々練習するしかないんだろうな。自由自在。そうだ、自由になるためにやるんだ。道は長いね。
宇都宮美術館で開催中の『芸術家たちの南仏』展を見てきた。アンドレ・ドラン、デュフィ、セザンヌ、マティス、ピカソ、シャガール。宇都宮でセザンヌが見られるなんて。野獣派だった時のマティスもドランも大好き。デュフィもいいね。ピカソってやっぱり自由だ。久しぶりに巨匠たちの作品とご対面して胸が踊った。でも同時に、今の自分の実力の差を感じてしまい、気持ちが萎えてしまいそうだった。昨日あんなに勇ましくアーティスト宣言したばっかりなのに。何かにハマるといつも突っ走ろうとするから、こうやってぶつかって転んで怪我をするんだよな。長く続けたいならもっとゆっくりコツコツとやったらいいのに。日記(ブログ)、絵を描くこと。やろうと決めたことを長く続けることって、自分にとって最大の課題。「書くこと」も「描くこと」も、やることによって解放感を得られるし、いい現実逃避になることに気づいたから始めたのに、だんだんそれに義務感を感じ始めて、今度はそっちから逃避したくなっちゃうんだよな。
たった数回ドローイングをしただけど、自分の中の何かが満たされ心のバランスを取り戻し始めているのを感じる。そうだ、やっぱりおれはアーティストなんだ。おこがましいのは承知だ。でも職業のことを言っているのではなく、自分の本質の話だ。アートなんて大したことじゃない。排泄行為だ。ただの遊びだ。それでもある種の人たちには必要だ。今こそ向き合おう。直視しよう。自分の中にくすぶる不始末の火種、消しても消せない渇望みたいなもの。ヘタでもいいじゃないか。ヘタならヘタなりに思いっきりやればいい。先日、小1の息子の授業参観があった。その日は道徳の授業で、学校であさがおを育てる生徒たちにちなんで、あさがおを育てる少年のお話についてのディスカッションだった。ストーリーの中の少年は水やりを忘れ自分のあさがおをしおれさせてしまった。「ごめんね」と言いながら水をあげる場面について先生が子どもたちに質問した。「この時の少年はどんな気持ちだったと思いますか?」「植物や生き物を育てるときに大切な事は何ですか?」かれこれ25年もの間、僕は自分の中に生まれたアーティストの芽に水をあげていなかった。『ごめんね』もっとちゃんと水をあげるべきだったんだ。これからは毎日ちゃんと水をあげるよ。太陽の光にも当ててあげよう。必要なら外敵から守ってあげよう。傷ついていたら癒してあげよう。花が咲くのは時間がかかるんだ。だから辛抱強さも必要なんだね。ずっと踏みつけられてたのに、その足を押し上げて生えてこようとするんだから、きっと強いんだね。小さくても、ありふれててもいいさ。どんな花が咲くのか見てみたい。いつも言ってた。特別な人がアーティストなんじゃない。誰もが特別なアーティスト。そうだろ?
今朝はひぐらしの声で目を覚ました。夜明けに聞くひぐらしの合唱は神聖だ。以前フィリピンでカトリック教会の宗務室に泊めてもらったときのこと。夜明け前の教会。辺りがまだ薄青く肌寒い中、その大聖堂にカトリックの住民は毎朝通い、祈りと讃美歌を捧げていた。大きく開け放たれた入り口から聞こえてくる静かな歌声とパイプオルガンの音。非キリスト教者の僕は中へ入るのが憚られるので、戸外で腰掛けその調べにうっとり耳を傾けていた。夜明けに聞くひぐらしの合唱はそれに似ている。鳥さえ鳴かない明け方のしじまに、ひぐらしの讃美歌がしっとりと沁みわたる。窓辺に腰掛けて耳を傾けていると、溶けていく心の澱がひらひらと降り積もっていくのを眺めているような瞑想的な気持ちになる。日がのぼり、温かくなり、鳥が鳴き始める頃には、合唱は終わってしまう。今朝は起きた途端に雨が降りだしたので、鳴き声はすぐにやんでしまった。もう少し聴いていたかった。雨はすぐにあがったんだけどな。今日はそのフィリピンの教会の絵を描いてみた。
この巨大な松ぼっくり。宇都宮大学名物らしい。妻が拾ったものが家にあったので練習に描いてみた。巨大な松ぼっくりやめときゃよかった。複雑すぎる。全然描けねえ。脳内でぼやきながらも根気よく試行錯誤していると、やがて見るべきポイント、抑えるべきポイントというのがだんだんわかってきてそれなりの形がつかめてくるものだ。普段の目というのは漫然と見ているだけで本当には見ていない。「こういうものだよね、知ってるよ」というバイアスを通して見ているからだ。絵に描こうとしてじっと見つめていると、ある時点でゲシュタルト崩壊が起こって、まるで生まれて初めて見るかのような目に切り替わる。そうなって初めて、<本当に見ること>が始まる。それにしても、この松ぼっくりのヒダヒダ。規則的でもあり不規則でもあり、数もやたら多い。なんとか正確にスケッチしてやろうと躍起になってみるが、幻惑的な幾何学模様の迷路に目線が迷い込んでしまい、何段目の何列目のヒダを描いているのか一瞬の間に見失う。どうにもうまくいかん。こうなってくるとアーティストはいよいよ選択を迫られる。忍耐力の限界にチャレンジするか、それっぽく整えてヨシとするか。何を残して、何を捨てるか。正直か、うそつきか。「3次元を2次元に写そうってこと自体がそもそも虚構の始まりだよね」などと言い訳がましく自分を説得し、適当なところでやめたのが本作である。なので、この絵は松ぼっくりの絵というよりは、葛藤の痕跡といった方が正確であり、意図せずアーティストの性格や人間性が表出している点でセルフポートレートともいえる。まあそもそもアートなんて全部うそっぱちなんだけどね。だけど僕を捕らえて離さなかった深淵で美しい嘘。うそつきどもが。
7/11(火)もういい歳ですからね。肩こりなんか慢性化してるわけです。それで妻の勧めでDoteraアロマオイルセットの中にDeep Blueという名のマッサージクリームを使ってみたところ、気持ちいいのなんの。ひんやりじんわりやさしく気持ちよく浸透していく感じ。そして、この匂い。スペアミント?いわゆるシップ臭い匂いなんだけど、アメリカでよく売ってるチューインガムのにおいに似ていて、それが高校卒業後に留学したボストンのことを思い出させた。コモンウェルスアヴェニュー、ニューベリーストリート、よく歩いた通りの名前もまだ言える。美しい公園と街路樹があり、英国風の古い街並みの中に僕が通った英語学校と寮はあった。19歳。若かったな。あの頃に戻りたい気持ちもあるけど、あの頃は先が見えなくて不安しかなかったし、経済的にも親の世話になっていたから、自活力もなかった。今も先が見えないことには変わりないけど、自活はできてる。戻らなくていい。留学といえば、今日は大学時代に知り合った日本人の友人(最近25年ぶりに連絡が取れて交流が再開した友人)とZoomをする。僕より少し年上だが、僕が始めたアートワークショップを応援してくれていて、いろいろ相談にのってくれている。彼とはニューヨークに引っ越したばかりの頃、たまたまアパートの隣人として出会った。僕は美大生、彼は別の大学で建築を学んでいた。彼はすでにフリーランスデザイナーとしても活動していて、僕は時々彼の仕事を手伝ったりする間柄だった。今、僕もフリーランスデザイナーになったわけだけど、当時の彼の働き方から影響を受けていたことは間違いない。シップの匂いから思考があっちこっちに飛んでいった。広くて奥行きのある時間と空間を行ったり来たりするみたいに、今と昔、こことあそこを行き来する。自宅のコンテナガーデンで見つけたカエルちゃんを描いた。カエルというのはいつもヌードだ。よくよく見ると、腰のあたりなどなまめかしいな。
7/9(日)宇都宮市にある子ども総合科学館でおもしろいイベントがあるというで、小1の息子を連れて参加した。紙コップでキングダムを作ろう!というワークショプだ。7000個の紙コップ。1グループにつき1000個。参加できるのは小学生のみ。参加したかったなー!紙コップをただ積み上げていくだけの遊びだけど、こんなにたくさんあって自分の背の高さよりも大きなものを作るって楽しいよね。単純な作業だけど、それだけに無心になれるというか、夢中になれるんだろうな。やっているうちにいろんなアイディアや想像が巡ってさ。ぼくのアートワークショップでもやってみたいな。こどもチームとおとなチームにわかれて、おとなは会話禁止。しゃべり過ぎるから。おとなでもこどもでも、夢中になれる体験は大事だ。創造性というのは、何かに夢中になっているときにこそ発揮されるものだから。子どもたちのサグラダファミリアは、もうちょっとで完成!
絵を描いてみようと思ったのは、編集中の年次報告書の表紙に使うイラストの提供者が今年は誰もいなくて困っていたからだ。iPadで描いてみたところ、結構楽しく描けたので、これからまた少しずつ絵を描いてみようと思ったのだ。20代前半、僕はアーティストを目指していた。美大卒業後すぐにあきらめて筆を折って以来、ずっと長い間、心のどこかに燃えカスがくすぶっていることに気づきながら見て見ぬ振りしながら生きてきた。そんな自分にとって、これは実に一大決心なのだ。正直、今でもアーティストに憧れているけど、50歳になった今、アーティストを目指してゴリゴリやるのではなく、もっと楽な気持ちで、絵を描く楽しさをもう一度自分の喜びとして取り戻す、そういう気持ちで取り組もうと思う。前衛アートでなきゃ価値がないという学生時代の思い込みももう捨てるつもりだ。まだ始めたばかりだけど、毎日描くというのは結構たいへんだ。何を描こうか悩むし、考えるのも面倒くさい。描いている最中も「ヘタだな。むずかしいな」と葛藤するし。でもそんな頭の中で「ヘタならヘタなりにやったらいい。それでもいいからやってみるんだ」と岡本太郎の声が聞こえてくる。色彩に目を奪われる瞬間もあるし、想像の世界で遊んでいる瞬間もある。なにより、学生時代から今まで、十分に満たしてあげられなかった自分のアーティスト欲、創造的欲求が少し充されるような感覚がある。これを人様にさらすことにはもちろん抵抗があるが、それもこれも自分自身を創造して肯定していく訓練だと思ってやってみようと思う。絵を描く喜びを、生成AIに奪わせてはいけない。。
7/6(木)クソ暑い。息の根が止まりそうだ。昨日は勢いで記事を投稿してしまった。日本でなかなか仕事が見つからずに悩んでいるアメリカ人のクリエイター仲間を励ますために書いたLINE文章。気に入ったので、挿絵を描いて記事にしてみた。昨日はたまたまアイディアが降りてきたけど、今日は何も降りてこない。そもそもなんで文章を書きたいのか?率直にいうと、自分語りだよね。自分の頭の中でぐるぐるしている事柄を吐き出したい。それで自分の本音を探したい。書くことによって発見できる自分もあるはず。絵の方は、仕事で表紙絵を描いてみたのをきっかけに、またやってみようかなと思って始めた。25年ぶりぐらいに筆をとった。iPadだけど。スケッチというのは、長いパスワードを入力するときみたいに、対象と画面との間を目が忙しく行ったり来たりする。なんとか正確に捉えてやろうという一心で、こっちも粘り強く挑むのだが、どうにもうまくいかないときもある。でも、うまく描くより、自分らしく描ければいい。絵も文章もそれを目指して、楽しくやれればいい。Big pinecone
サナギがチョウになる前ってさ、殻の中でめちゃめちゃ窮屈な気分を味わってるんじゃないかと思うんだよ。孵化の瞬間なんかさ、もう最高潮にストレスだと思うし、ある意味、命がけだよね。運良く殻を破って出られたとしてもさ、まだすぐ飛べないわけじゃん?羽がひらききってないし、乾かさなきゃいけないし。そうやって動けない間に誰かに喰われて死ぬかも!って不安で仕方ないと思うんだよね。めでたくテイクオフして、飛んだら飛んだで、今度はエサ場を求めてさまよわなきゃいけないでしょ?鳥やなんかに喰われちゃう可能性だってまだあるわけじゃん?そう考えるとさ、不安なんてずっとなくならないんだよね。人間が新しい自分になろうとしてる時とか、何か新しいことを始めようとしてる時だってそうだろ?フリーランスもそういうものだなって思うし、人生もそういうものかもしれないなって思うよ。だから親愛なる友よ、もう心配するのはやめようぜ。全部が思い通りにはいかないかもしれないけど、思い思いに生きていこうよ。
フリーランスになって痛感していること。それは、フリーランスでやっていくには、仕事をこなす知識やスキルよりも、営業とマーケティングのスキルが必須ってこと。オレはどちらかといえば職人肌。物を作ることが大好きな内気でおとなしい人間だ。そして内気だからか、表現することが大好きだ。だから、音楽、アート、デザイン、動画、スピーチ、プレゼン、ブログやSNSなど、ジャンルを問わず、いろんなものにトライして、「自分を出す」ってことにチャレンジしてきた。それによって、自分を表現することの楽しさを覚え、広告やPR活動など、他所様の自己表現のお手伝いを生業としてきた。浅く広くかもしれないが、一定以上の表現スキルを身につけてきたつもりだ。だが、しかし!「仕事を得る」という肝心な営業の部分は、苦手意識があって、今まで全然がんばってこなかった。だから今、どうやって仕事を得たらいいか途方に暮れている飛び込み営業にチャレンジするタマもない。そこで今勉強中なのが、SNSやWebマーケティングだ。これなら内気なオレでもできそうってことで、3日ぐらい前からツイッターを始めた。3日でフォロワー100人以上になった。これはなかなかいい調子らしい。インスタやフェイスブックもそのうち営業ツールとして活用していくつもりだ。(それからブログもね。今は無テーマの日記だけど。)時代は確実に変わったのだ。それをひしひしと感じている。これからはネットを使って仕事をガンガン獲得していくフリーランスやひとり起業家が続々と増えるだろう。オレもその波に乗っていきたい。絶対あきらめない。起死回生成功したら今度はこれから独立や、個人で起業したいという人たちを応援できる人になりたい。我慢して会社勤めを続けている人たちが、もっと自分の夢に向かって自分らしく生きていけるよう、勇気づけ、導いてあげらるようになりたい。「大丈夫だよ!できるよ!」ってね。もしも、今ガマンしているたくさんの人たちが、ガマンすることをやめ、自分の好きなように、自分らしく幸せに生きられたら、イガミ合ったり、嫉妬したり、他人の足を引っ張ったりする人が減って、この世界はもっと居心地のいい場所になると思う。そしたら、世界がもっと平和になるはずだ。だからオレは、迷ってる人たちを勇気づけ、自己実現へ導くリーダーになる!今後もこのブログに近況報告していくので、あなたがこれから始まる伝説の目撃者になってくれ笑。オレがもしダメになったら、オレを反面教師にでもしてくれだからお願い。たまにこのブログを覗きにきて応援してねということで、今日の夕飯は餃子でした。この焼き色、どうでしょう?昨日のアクセスは記事を書いていないにも関わらず7名でした。フェイスブックでアメブロアドレス公開したからかな。少し増えて嬉しいでも半分はbot今日も来てくれてありがとう。【今日のソング】ドラゴンクエスト『序曲』メドレー / すぎやまこういち(この曲を聞くとなぜこんなに胸が高鳴るのだろう。大学のPR動画制作の依頼を受けた時も、原案作成の時にこの曲を何度も聴いて、これから大学に進学しようとしている高校生のワクワクドキドキする気持ちに想いを巡らしました。杉山先生、史上最強最高のゲーム音楽をありがとう。ご冥福をお祈りします。)ドラゴンクエスト『序曲』 発売年順メドレー DRAGON QUEST overture medleyドラゴンクエストの序曲を発売順に並べてみました。DQ1#0:00/DQ2#1:15/DQ3#2:28/DQ4#3:40/DQ5SFC#5:22/DQ1SFC#6:41/DQ6SFC#7:48/DQ3SFC#9:06/DQ1.2GBC#10:49/DQ3GBC#12:32/DQ7PS#14:11/DQ4PS#15:...youtu.be
10/8昨日のワークショップの疲れが出てしまった。2ヶ月ぶりだから仕方がないと言えば仕方がないが、なんとも情けない。午前中は、地元の果樹農家さんのお手伝いに行ったのだが、肩こりや疲労からくる頭痛が酷くて少し早めに上がらせてもらった。この果樹農家さん、山口果樹園さんは、梨農家として地元では有名な農家さんで、我々夫婦はかれこれ10年くらい家族ぐるみのお付き合いをさせていただいている。妻がデザイナーとして、ロゴや商品パッケージやホームページなど一連のブランディングを担当したのがきっかけだ。オレ自身もサラリーマン時代から、山口さんを中心とした地元農家のジョイントプロジェクトのブランディングに飛び入り参加させていただいたり、ご息女の結婚披露パーティーのプロデュースをさせていただいたりしたことがあり、いろいろとお世話になっている。果樹園で行ったパーティーはいつまでも忘れられない素晴らしい思い出だ。その山口果樹園さんが今年から法人化し株式会社山口果樹園となった。我々夫婦もデザイナー、クリエイターから、今後はさらにプロデューサー、コンサルタントへとステップアップしていきたいので、こうして会社立ち上げ期のさまざまな課題を解決するお手伝いをしている。そういうわけで、オレとしては自分の得意分野でもあるIT知識を生かして、販売部門、いわゆる事務方の業務効率化に関わらせていただいている。思っていた以上に業務内容が複雑で、なかなかスリム化しにくい部分が多いのがわかってきたところだが、こちらから提供できるアイディアやソリューションをどんどん提案していきたいと思っている。自分の仕事を売り込むことも大事だが、お客様目線で、お客様の成功のために貢献するのだ、という気持ちが何よりも大切だ。気持ちだけでなく行動で示すことはもっと大切だ。果樹園にはヤギがいる。写真を撮ってくるように息子に頼まれた。
10/7 久しぶりに幼稚園でのアートワークショップ。園児たちに会うのも久しぶりだ。幼稚園もコロナ禍の対応で忙しい中、先生たちがお手伝いをしてくださりありがたい。今日は11月に園で予定されている造形展のための作品づくりとなった。小さな作品各自1枚とジャンボ画用紙にみんなで描いた作品1枚。いつもはひとつの課題しかやらないところ、2つ詰め込んでいるから、いつもよりもハイペースな進行になってあわただしかった。でも、なんとかみんな作品を作ることができてよかった。やっぱりこの仕事は楽しい。技術は教えない。指図もしない。道具を与えて自由にやらせるだけだ。だからといって仕事をサボってるわけではない。声かけを大切にしている。夢中になって何かを描いてる子供に近づいて、「何描いてるの?」と声をかける。秘密基地にそっと入らせてもらうような気持ちで声をかける。そうすると多くの子が自分の絵について楽しそうに説明をしてくれる。それを聞くといつもオレは、彼らの無垢な世界の美しさに胸を射抜かれるのだ。彼らの表現は、訓練されていなくて拙いからこそ、ユニークで、純粋で、美しい。ただただ、そのまま、今のあなたのままで最高。その素敵なあなたらしさ、ずっと忘れずに大人になってね。心の中で、そう言って、応援している。
10/5自分に合った美容室が見つけられないまま、すっかり髪の毛が伸びてしまった。ヘアスタイルにこだわりが強いわけではない。いや、多分美容師さんたちには理解できないこだわりがあるのか?そもそもオレは美容師さんと話すのが苦手だ。黙っているのも居心地悪い。そんなオレに気を遣われてしまうと申し訳なくてやっぱり居心地悪い。軽いコミュ症。だいたいどこの美容室へ行っても、あのオシャレな空間にいる自分が場違い思えて仕方ない。オシャレしたいけど、オシャレ頑張ってる風には見られたくない。複雑な男心。前回は思い切って理髪店に切り替えてみた。美容室よりは居心地の悪くなかったので、今後は理髪店サーファーになるだろう。誰か、チャネリングか読心術ができて、何も言わなくても理想の髪型に仕上げてくれる美容師さん知りませんか?【今日のソング】そうか、そうだ ザ・ハイロウズザ・ハイロウズ そうか、そうだyoutu.be#美容室難民
10/4 雲ひとつない快晴。抜けるような青空。まっすぐな道を駆け抜けていけば、本当に突き抜けられそうだ。実は、空って意外と薄っぺらい。大気圏の厚みは約100km。地球をグレープフルーツぐらいの大きさに例えると、大気圏の厚さはだいたいサランラップ1枚分ぐらい。地球の生き物はこの薄い膜の中でその空気を吸って生きている。膜の外はもう僕らが生きられない宇宙だ。そんな心もとない薄皮も、地上から見上げればこんなに深く青い。お世話になっている団体から依頼されている創立50周年記念壁画のデザインに行き詰まっている。締め切りも迫ってきているので、ここをなんとか突き抜けたい。アタマを切り替えるために、思い切って即席の作業場を自宅に設えた。デジタルで考えるのはやめて、アナログでトライしてみようと思う。夜、忘れられた花火を納戸で発見。季節外れの花火大会。暗闇に飛び散る火花。オレのアタマも早くスパークしてくれ。突き抜けろー。【今日のソング】マーチングバンド ASIAN KUNG-FU GENERATIONASIAN KUNG-FU GENERATION 『マーチングバンド』http://www.asiankung-fu.com/ASIAN KUNG-FU GENERATION、初のベスト・アルバム!「BEST HIT AKG」1月18日発売!これまでに発表したフル・アルバム6枚、ミニ・アルバム2枚から厳選された16曲に、新曲「マーチングバンド」を加えた"これぞベスト!"な全17曲。...youtu.be#つきぬけろ
10/3 運動会日和の晴天。しかし運動会を知らせる空砲は聞こえない。静かな朝。日曜日の朝には日曜日の空気が流れていて、それとわかる。なんというか、空気も休んでいる。スポーツの秋だからというわけではないが、先日始めたジョグウォーク。天気いいし、今日もやるか。筋肉痛だったフトモモくんと相談の上、河川敷に向かって出発。省エネモードで運転中だったシンゾウくんが慌てて起きだす。体の隅々まで新鮮な酸素が送り込まれ、汗とともに体に溜まった毒素が、二酸化炭素とともに心に積もった邪念が、体の外へ排出されて、懐かしい活力が体の中心からみなぎってくる。そうか、情熱の源は心臓か。「心を燃やせ!(また鬼滅の刃ネ)」っていうのは、逆説的だけど「心臓を動かせ」「体を使え」ってことに違いない。心と体と空気の深淵な関係。帰宅。気持ちのいい朝だったので、久しぶりに庭で朝食を。マヨネーズを塗ったパンにチーズとじゃこと海苔をのせて焼いただけの簡単なトースト。起きてから3時間ぐらいしか経ってないけど、なんか贅沢な日曜日だ。空っぽに見えるけれど、きれいに澄んだ水がある。なんにもなくても、あなたが生きている今日は素晴らしい。【今日のソング】月光陽光 ザ・ハイロウズTHE HIGH-LOWS 月光陽光ハイロウズの月光陽光です。とってもいい歌です。画像は適当に拾った空の画像です。素人なんで出来が悪いのには目を瞑ってください(泣)youtu.be
10/2台風一過の爽やかな朝。「キ」の字に合体したトンボの群れが畑の上空を横切っていく。なんとも秋らしい。午後は妹の家族がウチへ寄って新春完成予定のマイホームの進捗報告をしてくれた。新居でのBBQパーティーなど楽しみだ。そういえば夕べは我が家でも焼肉だった。やっぱり焼肉は楽しい。焼肉、しゃぶしゃぶ、鍋料理、もんじゃ焼き、どれも大好き。日本にはひとつの大きな食べものを大勢で突っつき合って楽しく食べるという文化がある。食べものは単に食欲や味覚や栄養を満たすだけではなく、人と人とが打ち解けあって楽しい時間を過ごすための、コミュニケーションの手段としても大切な役割を演じていたのだ。気がつけば家族以外の誰かと過ごすそんな豊かな時間がすっかり減ってしまった。パーティーや外食でのマナーとルールもきっと変わっていくんだろうな。あまり喜ばしくない方向に。「あなたは時代遅れだよ」と変化に適応できずに取り残されてしまいそうだな、と憂う秋の夜長であった。