大人になると聞かなくなるね。見なくなるね。

聞いているつもりで、見ているつもりで。

実際なにをしているのかと言えば、評価と分類だね。

カテゴライズと言ってもいいかもしれない。

何を見ても、何を聞いても、評価、分類、評価、分類…

 

酷くなるとカテゴライズすら、決め付け的になっていく。

なんとなしの予想。まぁ、あのぐらいかな。まぁ、その程度だろう。って。

ほとんど見る前から。

 

あるいは逆に、自分が他人にカテゴライズされている事を知っているから、

喋っているフリをしているだけ。なんとなく、当たり障りないように。

要は付き合いだ。

 

付き合いを”たのしい”とは言わない。

本当の意味で、聞いているか、本当の意味で、見ているか。

本当の意味で伝えているか?

問いたい。

 

カテゴライザーの僕らは、間違わない。もちろん喧嘩なんてしない。

そりゃあね。上手に世の中歩こうと思えば”間違わない”ようにするよね。

間違えたくないもんね。確かに。聞いているフリをすれな、喋っているフリをすれば、安全だ。

 

反復を経験と呼ぶ、経験は間違えを繰り返さないためにある。

仕事ってやつも、反復で経験を研いで行く作業だ。

社会ではどうやって勝つかよりも、どうやって負けないかが問われる。

その問いの答えは、感情との決別。あるいは主観との決別。”負け”の原因のほとんどは感情に起因するから。

欲と、恐怖。つまり、経済が、幽霊みたいに付き纏ってくる。

有頂天になったり、慌てふためいている態度、怒ったり、泣いたりするのはとても幼稚だ。

大人にならないといけない、そうしないとぶっ殺されるよ。社会に。

冷静に、冷静に、評価、分類、予想、プラン、とにかく、負けないために客観的になれ。踏み外しちゃダメなんだ。

資本主義においては、その考え方は正解かもね。

 

でも、人間同士って、そんなもんですか?

人と人は、なんのために存在しているの。

赤ペンでマルバツ付け合うためにいるんですかね。

人と人は、ただの経済ですか?

 

まぁでも、そうかもしれない。

別にいいけどさ、経済でも。マルバツでもいいよ。

ただ、それだけだと”楽しくない”気がするのよ。

楽しいは大事だよ。

 

子供の頃なんで毎日が楽しかったか、それはね、評価と分析なんか全然してなかったからだよ。

つまり、馬鹿だったから楽しかった。

 

自分に降りかかることが、ただただ巨大で、荒々しくて、飲み込まれるだけだった。

大事件、大災害、大冒険。喜びも、悲しみも、怒りも、厳然としていて、リアリティがあって、革命的だった。

全然大したことないようなことが、本当にくだらないことが、光り輝いていて、絶望的で、憎々しくて、愛おしかった。

客観性なんか、なかった。

暴力みたいな主観で、ファンタジーを描いて、ゴーストに怯えていた。

爆笑して、大喧嘩して、人と深くコミットメントしていた気がする。

だから、簡単に”好き”になれた。

 

「スタンド・バイ・ミー」

 

あれ、爽やかなストーリーだと思う?実はかなりグロテスクだよ。

友達と、こっそり”死体”を見に行く話だぜ。(原作のタイトルは「死体」)

 

なんで、星を見に行くじゃなくて、海を見に行くじゃなくて、”死体”なの?

ポイントはそこにある、

死体を見に行くのは”悪いこと”だ。悪いことは”親友”とだからできる。

君と一緒なら、できる。秘密の、悪い、ダメなことを。君と一緒なら。

 

星を見に行くのは、海を見に行くのは、親友とじゃなくてもできる。

それは大人がやることかもね。正しいことは大人のやること。つまらないこと。安全なこと。

正しいことは、ただの付き合いだ。

 

でも本当に楽しいことは、間違いを帯びている。危険を帯びている。

死体を見に行くのは親友とじゃないと出来ない。親友?あるいはふたりは恋人同士なのかもね。

恋人の方がしっくりくるな、それならほとんどラブストーリーだね。

 

月明かりしか見えない暗闇でも、怖くないよ。

君だけは僕と一緒に踏み外してくれる、僕と一緒に間違えてくれる。

本当に、聞いてくれる。本当に、見てくれる。本当に、君を見ている。

だから僕のそばにいて。ダーリン、ダーリン、そばにいてね。

 

すき。

 

他は全部経済でいいけど、

”すき”だけは、積極的な”間違い”の中にあって欲しい、

”たのしい”は無垢で、少しグロテスクなエゴイズムだ。

 

たのしいが可能なのは、彼らが子供だから?

そうかもしれないけど、それもやっぱり決め付けじゃないかな。

僕ら、そんなに大した経験してますかね?物事を評価、分類できるほどの。

5歳児が3歳児に威張るぐらいの違いしか、本当はないんじゃない?

30歳になったぐらいで、そんなに威張るなよ。

 

だからむしろ今からでも、

積極的に間違えた方がいいですよ。怪我したって、いいじゃない。

それが出来ないのは、大人子供とかじゃなくて、ただ勇気がないんじゃない?それか体力、

行動する勇気とエゴイズムの体力が。

 

勇気と残酷さがあれば”たのしい”は全然可能だ。