ささいな事だけど、ささいな事だからこそ。
姉を思い出す時の事を書いてみる。
例えば、インスタントコーヒーを飲むときに思い出す。
一昨年遊びに来たとき、姉は「スプーンなんて要らないよ」と言って、瓶からコーヒーの粉を直接コップに入れていた(笑)
洗い物を増やしたくなかったと思われる。
「鍋にハマってるんだけど、包丁とまな板を使わずに入れられる具材を教えて」とか、電話で言う人だったもん
自分がインスタントコーヒーを飲む時に、そういう事を思い出す。
それで、時々姉のように、スプーンを使わないで粉を入れてみる。
なんかちょっと薄くなる(笑)
目分量って難しくなかったのかな?
それから、息子と粘土をすると、何故か姉のアパートを思い出す
これの繋がりはハッキリ分からないのだけど…。
姉のアパートに遊びに行ったのは18歳の春で、ぽかぽか陽気だった。
近所は緑が多くて、花も咲いていて。
北海道とは気候が違うなぁと思ったのだ。
ホームベーカリーでパンを焼いたり、押し麦を米に混ぜてたり、行きつけの定食屋さんがあったり、部屋中に張り巡らせた洗濯ロープに、いっぱい服が干してあったり。
そういう何もかもに、もう私の知ってる、実家で一緒に暮らしてた姉じゃないんだなと実感した。自分なりの暮らしが、確立されてるんだなぁって。
自由を謳歌してるって感じがして、一人暮らしに憧れた。
その眩しさを、なんか粘土の時に思い出すのかな(^-^;)
でも何で粘土?
粘土する度に、姉が生きていたら、ちょっと息子が目を離している隙に、変な作品を作って「ほら、出来たよ~」と、ニカーッと笑うだろうな、という姿も思い浮かぶ。
無邪気な人だった。
そういうイメージが繋がってるのかもしれない。こじつけかな
粘土遊びは息子との、毎晩の習慣なのよね。最近やってないけど。
習慣になってる事って、連想する事も繰り返すから、だんだん自動的にパッと思い浮かぶようになるって事、ないかしら?
この場所でこれをすると、何故かあの風景が思い浮かぶ。ほぼ毎日それを繰り返すから、連想する事も癖になってる。と言うこと。
そういう現象って、誰でも持っているんじゃないだろか。言わないだけで。
形はどうあれ、理由は謎であれ(^-^;)
あの時の春の暖かさ、眩しさをパッキングして。姉の思い出を閉じ込めて。
そのカプセルを、いつでも空けられる鍵(きっかけ)を、今は持っている、という事にしておこう。
習慣がいつか変わったら、思い出すこともなくなるのかも知れない。
でも、ぼんやりとしたあたたかい気持ちだけでも、覚えていられたらいいなぁ。
何だか分からないけどあたたかい、と味わって、死ねると良いなぁ、なんて。