4年引退ブログ*りん | 日本女子大学ラクロス部

4年引退ブログ*りん

本女ラクロス部で過ごした日々は濃すぎて、1つのブログには収まらないほどの想いがあります。まとまりのない文章ですが、お付き合いください。

今回引退ブログを書くにあたって、入部時のブログを見返しました。
『私は昔から、何かに一生懸命になったと胸を張って言えるものがないことにもやもやした気持ちがありました💭
私がラクロス部に入部した理由はこの「一生懸命何かに打ち込む」という経験をしたかったからです!
大学を卒業した時に、「本当に大変だったけど精一杯努力した」と言えるようにラクロスに打ち込みたいです!』




この文章を見てもわかるように、私はラクロス部に入るまで、なにかに本気になったことがありませんでした。人生で1番嬉しかった経験はなんですかと聞かれても、答えることができず、私にとってはそれがすごく恥ずかしいことでした。

けれど、ラクロス部に入って、人生で1番嬉しかった瞬間にも、楽しかった瞬間にも、悔しかった瞬間にも出会うことができました。

全てがポジティブな感情だったとは決して言いません。

けれど、それまでなにかに本気になったことがなかった入部前の私からすれば、喉から手が出るほど欲しかった経験です。

大学4年間で沢山笑って沢山泣いて、色々な面で成長したと思っています。その中で自分が感じたことは、自分が成長した瞬間は成功より、多くの失敗だということです。

その時は自分にがっかりするし、恥ずかしいし、逃げたくなるけど、それは成功するための足踏みで、無駄なことなんて1つもないと思えるようになりました。

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本当に充実した4年間の中で最も苦しかったのは、私が副将を務めた3年生の時です。22チームは日本女子大学ラクロス部史上最も部員数が少なく、激動の時代だったと思います。部の存続すら危ういと思っていました。




口では一部昇格と言っていたけれど、正直「チーム」として成り立たせることにしか目を向けられていなかったし、最終戦を目前にして代替わりをした時は、自分がどん底にいることに気づかないようにするのに必死でした。

個人で言えば、あの時の私に3部降格という結果は当たり前だったんだと思います。

そのような経験があったからこそ、最後の1年間は、ただただ自分が味わった苦しみを後輩が経験しないようにと願い、そのために動いていました。本気でチームと、自分と向き合いました。

22チームの最終戦が終わって、新たなチーム作りについて考えていた時、自分は主将になるのに、コーチとまともに話したことがないことに気がつきました。自分の理想とかチームの課題とか本音で話せていなかったとその時気づきました。

こんなんじゃ主将になんてなれないと思い、焦ってHCのみーさんに「2人でご飯に行ってください」とLINEをしました。当時雲の上の存在だったみーさんと会うとなった当日は、吐きそうなほど緊張していたのを覚えています笑

そこで初めてみーさんという方を知って、なんておもしろい人なんだと衝撃を受けました。

その後は、オフ期を使ってそれまで恐れていたコーチ陣(コーチの方々本当にごめんなさい笑今は全く恐れていません。)と本音で会話ができるよう沢山時間を使っていただきました。

コーチとの会話は本当に学ぶことばかりで、0にもなっていない私の話が10にも20にも膨らんでいきました。夜中までチームの課題や理想について話す時間が本当に好きでした。

本当にご多忙なコーチの方々が、惜しまず時間を使ってくださったことには感謝してもしきれません。

コーチの方々
私はラクロスの魅力は技術だけではなく、人間的に成長できることだと思っています。人間的な成長の大切さに気づかせてくださったのは間違いなくコーチの方々の存在があったからです。

「1年経って、最終戦で相応しい人がキャプ証をつけることになった」と言ってくださった時、「1年で最も成長率の高いチームだった」と言ってくださった時、自分たちがやってきたことは間違ってなかったと思えました。

いつも道に迷ってばかりの私たちを辛抱強く見守り、真剣に向き合ってくださり、本当にありがとうございました。

絶対にお世辞を言わないコーチの方々だからこそ、その一言一言を何より信じることができました。

そんなコーチの方々との会話が楽しくて何より大好きでした。本当にありがとうございました。




そして、なんとなくラクロスをやっていた1、2年生の頃の自分が恥ずかしく思えるほど後輩たちは真剣にラクロスと向き合ってくれました。

入替戦が決まり引退の文字がはっきりとしてきた頃、2年生の後輩が「入替戦までにできることは全部します」と言ってくれました。そして私がなにより嬉しかったことは、入ってまだ数ヶ月しかラクロスをしていない1年生の後輩が「4年生のために戦います」と言ってくれたことです。

また、後輩とは思えないほど私たち4年生と「肩を並べて」戦ってくれた3年生には感謝してもしきれません。自分たちが去年、一生1部を目指すことができないと涙を流したあの日と同じ思いを1個下にさせてしまった。それだけが本当に心残りで、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

沢山のものをくれた大好きな後輩たちへメッセージを送ります。

大好きな後輩たちへ

ここまで最高のチームを作りあげることができたのは誰1人3部降格したあの時のままで良いと思わなかったからだと思う。

そして、3部降格をした後入ってくれた1年生の存在がこんなにも自分に刺激を与えてくれるなんて想像もしてなかった。泣きながら必死に練習に食らいついて、貪欲に上手くなりたいと思って奮闘する姿を見て、自分も負けてられないなと思った。

私はみんなが知ってる通り、プレーで魅せて俺についてこい!っていうタイプではなかったから、相当みんなにも不安な思いをさせたと思う。ごめんね。そんな私にちゃんと向き合って、一緒にチームを作ってくれてありがとう。

どんなに辛いことがあっても次の日部活に行けば絶対誰かが笑わせてくれた。
今日は疲れたなとか体調そんな良くないかもと思っても部活に行けば、絶対帰るころには元気になってた。

みんなが私にかけてくれた言葉の一つ一つが私を成長させてくれたし、奮い立たせてくれたんだよ。

私は個人的に歴代の主将の中で自分が1番主将っぽくないと思ってるんだけど、そんな弱い私と一緒に歩んでくれたみんながいたから私は堂々としていられました。

東大戦で負けた時、なにより心配したのは、みんなが自分たちのやってきたことを無駄だったと思ってしまわないかってこと。
けど、引退してから今日までの皆を見たらそんな心配はいらなかったんだと思った。

みんなが今年のスローガンを継ぐ(つなぐ)にしたと聞いた時、私たちの想いはちゃんとみんなに届いていたんだと感じて本当に嬉しかった。

何度も言ってるからもういいよわかったよ!って思われそうだけど、本当にみんなのことが大好きだよ。こんな私に居場所をくれてありがとう。同じ方向を向いて戦ってくれてありがとう。

みんなが2部奪還して、その先の一部昇格に繋げてくれる日を楽しみに待っています。




OGの方々へ
私が今年見た景色は本当に素敵な景色でした。
見たことのない数のOGさんが観客席から必死に声を出して応援してくださったこと。試合や練習に来られなくてもたくさんのメッセージを送ってくださったこと。

本女の絆は強いと何度も思いました。応援がこんなにも自分の力になるんだと驚き、何度も励まされました。

コロナを経て、OGの方々が現役であった時では考えられなかったような状況になっても、様々な形を模索し、共に2部奪還を目指してくださったことに深く御礼申し上げます。

これからはその一員として最前列で声を張り上げていきたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。




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もし私がラクロス部に入る前の自分に声をかけるとしたら「迷わずそのまま進んでいいよ」と言います。

私がそう思えるのは私のラクロス人生に関わってくださった皆さんがいたからです。

フィールドに立てるたった10人からは想像もできないほど多くの人が私たちを支え、勝利を願ってくれているということを身をもって知りました。

もう少し人数がいたら、学校にグラウンドがあったら、お金に余裕があったら、
もしと言ったらキリがないくらい私たちは環境に恵まれていませんでした。

けれど、人には恵まれていたと胸を張って言えます。

日々私を支えてくれた家族、
ジャージにすっぴんで授業を受けていた私を格好良いと言って応援してくれた友人、
遠いグラウンドまで足を運んでくださった沢山のゲストの方々、
本女の歴史を繋いでくださったOGの方々、
私たちのために本気になってくれるコーチ、
大好きなチームメイト

みなさんがいてくださったから私は、持っていないものではなく、持っているものに目を向けることができました。安心して最終戦まで駆け抜けることができました。

筑波大学のグラウンドで迎えた最終戦。できることは全てやったと言い切れます。
それでも叶わなかった2部奪還。
もしその景色をみんなで見れていたらどんなに素敵だっただろうと今でも思います。東大戦のラスト数分。ATとして出ていた私は、試合が終わる瞬間まで、リストレ越しにボールを奪いに行くみんなをただ見ていることしかできませんでした。

あの時負けた悔しさは消えません。みんなで最高の景色を見たかった。
勝って23チームがどんなに素晴らしいかを証明したかった。けれど、できることを全てやっても私たちは東大に届きませんでした。

今でも涙がでるほど悔しいけれど、最終戦まで努力し続けたあの日々は、本当に宝物だったなと思います。




最終戦の時、りんが主将になるなんて1年生の頃は思わなかったと沢山の方に言われました。それほど私は下級生の頃、ラクロスに真剣に向き合っていませんでした。(私に声をかけて下さった方はそういう意味でおっしゃったのではないと思いますが笑)けれど4年生の最終戦の日、立派な主将になったね。素晴らしいチームを作ったねと沢山の方に言っていただきました。

私が1年間目標としていた「信頼に足る主将」になれたかどうかはそれぞれに聞かないとわかりませんが、りんが主将で良かったと沢山の方に言っていただいたことは確実に私の自信になりました。

最後に忘れられない同期へのメッセージで終わりたいと思います。

同期へ
私の言葉ではみんなの素晴らしさや大切さは伝わらないかもしれないけど、頑張って書くね。

私がラクロスを続けられたのもこのチームを大好きだと思えるのもコーチとの関係を築けたのも全てみんながいたから。

さこにこがいなかったらまずラクロス部に入ってないと思う。
そして途中入部なのに元からいましたっていう馴染み方のぺくがこの学年の魅力を増してくれたのは言うまでもないね笑

なんでも受け止めて真剣に話を聞いてくれて、絶対に私のことを見放さないってわかってるみんながいたから私は辛かった時期も乗り越えられたし、素晴らしいチームを作れたと言える。

普段はふざけてばっかりなのに、自分の理想を笑わないで聞いてくれるから安心してなんでも言えたし、全部ぶつけられた。

私が入部してからラクロス部は大きく変わったと思う。けど、この同期だけは絶対に手放したくなかったし、他の部員にも素晴らしい人たちだと認めてほしかった。だから夜中だろうが構わず電話したし、授業で忙しくても集めて、色んなものを求めた。

何度もぶつかったし、意見が合わないこともたくさんあったけど、それでもみんなのことが変わらず大好きなのはそれぞれを心から尊敬してるから。

みんなが私を作ってくれたと言っても過言ではないほど成長させてくれた。

わざと私が腹立つこと言って奮い立たせてくれたり、100でぶつかったら1000で返してくれる私より私の扱いを理解してる最高の同期。

本当に大好きだよ。

私と一緒に歩いてくれてありがとう。



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最高に充実した4年間でした。
本当にありがとうございました。




23チーム主将 りん