一年前の今日、午後にティム君が亡くなった。
ゴマちゃんと2匹で、駅に捨てられていたのを保護した。
病院に連れて行ったが、2匹の内ティム君の方は
ダメかもしれないと言われていた。無事に何とか生き延びて
以来20年間、ともに暮らす事が出来た。
この子は家に来てからも手がかかる子であった。
オシッコが上手くできずに、大変な思いをさせられた。
最後の一年間は、病院通いの毎日になり
ティム君にも大変な苦痛をかけてしまった。
手のかかる子だっただけに、亡くなってしまった時は夫婦共
虚脱状態になってしまった。出来るだけの事はしてやれたと云う思いと
もっと何か別の方法があったのではないかと云う思いが
交錯して、しばらくは茫然となってしまっていた。
あれから早一年が経ってしまった。
ともに暮らして天国にいる9匹の仲間と一緒にいるティム君。
ゴメンナサイとありがとうの思いが交錯している。
今日は妻が絵の教室に行っているので
一人で土岐川の川辺を散策。
天気も良く、風も心地良く散歩には最高の日よりでした。
帰りに図書館によって一時間程、本を眺めていた。
写真の本は読みたいと思っていた一冊。
今、こんな映画の見方が主流になりつつある事に愕然とする。
2時間の映画を一時間どころか15分くらいに編集したのを見る
事さえ常識になりつつあるとの話。
会話の無いシーンは早送りで飛ばしてしまい
詰まらないと思ったら1・5倍速で見る。
そんな事が常識になりつつある。
エンターテインメントを見たり、聴いたりする事で
「心が豊かになる」と思われていたが、今は違うらしい。
単なるストレス解消のためにだけエンターテインメントを見たりする。
だから若者がスポーツの観戦をしたがらない。
スポーツは勝ったり負けたりがあり、野球で言えば確率は5割ほど。
負ける試合を見てストレスになる位なら見ない方がましと
結論づけるという事らしい。
そうなればダイジェスト版でOKという事になる。
映画もそれと同じ理論で、2時間もの間椅子に座って
自分に合った面白い作品ならまだしも
面白くない映画を延々と見る理由がないらしい。
もっと長時間の歌舞伎やオペラになると完全にお手上げらしい。
私は芸術至上主義ではないが、色んなエンターテインメントを
楽しみたいと思っている。先日見た「1000日のアン」とか
「冬のライオン」をダイジェスト版にして見たとして
面白いとは思えない。セリフの一つ一つが重要な意味を持ち
出演者の目の動きひとつで、シーンの持つ意味が違って来たりする。
スマホ一つで、ゲームから映画、スポーツまで楽しむ世代が
増えている。
内容よりも情報としてしかエンターテインメントを感じない世代が
多数を占めているらしい。
こんな本を読んでいると恐ろしくなる。
落語も、音楽も、映画も、スポーツもダイジェスト版で
済ましてしまって良いのだろうか?
老い先短い老人の戯言と思われても仕方ないが
映画はキチンと見ましょう。
それが人生を豊かにするかも知れません。