「地獄の黙示録・ファイナル・カット」コッポラの狂気と果てしなき迷宮 | B級おもしろ映画館

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「地獄の黙示録・ファイナル・カット」 ブルーレイばんを見た。

劇場で見ているので新鮮な驚きや感動はなかった。

この作品の内容は、色んな人がいろんな形で書かれている。

ストーリー等もそちらにお任せするとして

何故、こうも何度も違う形で公開する必要があるのかです。

「儲かるから!」と言ってしまえば簡単ですが、

この映画、何処まで行っても未完だからだと思う。

 

70ミリ版(クレジット・タイトルがない、カンヌ映画祭出品版)

一般劇場公開版、2時間30分

特別完全版、   3時間20分

今回のファイナル・カット版 3時間2分

以上の様に違う形で4度公開されている。

上映時間も違うし、エピソードがあったりなかったりで

アレレと思う部分は多分にあるが、基本的には何も変わっていない。

 

製作発表の時に、世界中の配給会社に事前の出資を求める異例の

声明が先ず、世界中の映画関係者をアッと言わせた。

スティーブ・マックィーン~ハヴェイ・カイテル~マーティン・シーン

ジーン・ハックマン ~ ロバート・デヴァル

ロバート・レッドフォード ~ デニス・ホッパー

リノ・ヴァンチュラ ~ クリスチャン・マルカン

予定していた左側の出演者が右側の人に変わった。

変わらなかったのはマーロン・ブランドだけ。

 

音楽は、全てのシーンでビートルズの楽曲を使う予定だったが

あまりにも使用料が高額でこれも断念。

 

タイで撮影予定だったが、軍隊の協力が得られずフィリピンに変更。

 

主役のマーティン・シーンが、あまりにも過酷な撮影に

心臓が耐えきれず発作を繰り返し、一時撮影を離れる事態に。

 

もう一人の主役であるマーロン・ブランドが、撮影現場にやって来た。

その姿を見るなり、コッポラさんは倒れそうになる。

あまりにも太り過ぎていて、想定していたシナリオ通りの

動きが不可能な事が分かる。

あの訳の分からん後半の哲学的な展開はM・ブランドの太り過ぎの為

シナリオを改変した結果らしい?

おまけに撮影期間の短縮を要求、そのために主役二人が

同一の画面に登場しないという前代未聞の結果になった。

 

最悪は台風。記録的な規模の台風がロケ地を襲い

折角のセットを完全に壊してしまった。

これで金銭的に大ダメージを受けて、

ラストのべトコン、カンボジア軍、カーツの軍隊、アメリカ軍による

一大戦闘シーンの撮影が日程的にも不可能になる。

 

これだけのトラブルに見舞われれば、普通の監督なら投げ出してしまいそうだが、コッポラはそうはならなかった。

M・ブランドのカーツ大佐同様に、ベトナムの迷宮に完全に迷い込み

何が何でもこの映画の完成を成し遂げようと、戦いを挑み続けた。

それを金銭的にも、精神的にもバック・アップしたのが、日本ヘラルド映画だった。ヘラルドの古川社長は「S・マックィーンの映画を買ったのではない、買ったのはコッポラの映画だ」と名言と共に

コッポラを支持し続けた。

あらゆる苦難を乗り越え、一応の完成を果たしたコッポラの

「地獄の黙示録」は、1979年・カンヌ映画祭でグランプリに輝いた。

 

難解だと言われながら日本公開は、ヘラルドが10種類以上のポスターや、マスコミを総動員しての大宣伝が効き22億円を超える

配給収入をはじき出す大ヒットなった。

 

今回、ファイナル・カット版をじっくり見ても

M・ブランドの全く動かない姿や、主役二人が同一画面に登場しない

不自然さなどは、首をかしげざるを得ないと思う。

前半のキルゴアのべトコン掃討の迫力ある戦闘シーンや

プレイボーイ誌の慰問のシーンの、深みある映像の見事さなどの事を考えても失敗作と思わざるを得ない。

どうしようもない作品かと言われれば、そうとは考えたくはない。

私は「壮大な未完成作品」 そう思う事にしている。

一人の映画監督が、あらゆる困難にのたうち回って

全てを投げうってもこの映画に賭けた情熱の大きさと執念には

それなりの敬意と評価をすべきだと思っている。

「ゴッド・ファーザー・シリーズ」を作り

「地獄の黙示録」を作った、最後の活動屋フランシス・F・コッポラ。

私は大好きです。どの監督よりも尊敬しています。

出来るなら「地獄の黙示録・ラスト・カット・10時間バージョン」を

編集してください。待っています。