「ウエスト・サイド物語」 1961年 151分 70ミリ
監督・ロバート・ワイズ&ジェローム・ロビンズ
出演・ナタリー・ウッド、リチャード・ベイマー、ジョージ・チャキリス
リタ・モレノ、ラス・タンブリン、タッカー・スミス
午前十時の映画祭で見てきました。
劇場で見るのは今日も含めると20回は超えていると思う。
徳島のテアトル・丸新という所で見たのが最初だと思う。
丸の内ピカデリー、スカラ座、大阪のなんば大劇場、松竹座
等のロード・ショウ劇場。戎橋劇場、阪急文化、祇園会館などの名画座
思い出すだけでも色んな劇場が目に浮かんでくる。
1961年12月23日、東京のピカデリーで公開されて
以後500日を超える連続上映が、同劇場で記録された。
あまりにも有名なのでストーリー等、映画の内容は省略します。
今回見て思ったのは、やはり最高の映画である事です。
靴一足分のミスも許さなかったジェローム・ロビンスの
完璧な振り付け。
ありとあらゆる映画テクニックを駆使して、映画に命を吹き込んだ
ロバート・ワイズ監督。
トコトン難しい曲を作る事でをめざして、
成功を収めたレナード・バーンスタイン。
彼らの期待に見事応えた俳優たち(ダンサー)
最後を締めくくったソール・バスのクレジット・タイトル。
ありとあらゆる才能がこの一作に結集して、
見事に花開いた奇跡のような作品です。
アカデミー賞11部門受賞は当然の結果だったと思う。
オープニングのマンハッタンのヘリコプターによる俯瞰撮影に始まり
ソール・バスのエンド・クレジット迄、完璧な151分はミュージカル史
だけでなく、映画史までも変えてしまう事になった。
そんな完璧な筈の作品でも信じられないミスがあります。
発見したのは小林信彦さん。ラストの撃たれたトニーを両手で
抱いているナタリー・ウッドのロザリオが、服の中に出たり入ったりする
それも二度も!スプリクターの勘違いだと思うがゆっくり見ると
やはり変です。
この映画の映画界に与えた功罪の功の方は、
あらゆる形で言われている。問題は罪の方です。
それまでの個人の芸で成り立っていたミュージカルを
木っ端みじんに吹き飛ばしてしまった。
個人芸であるタップ・ダンスの魅力は、以後見る事は出来なくなった。
またミュージカルにテーマを持ち込んだ。
この映画も人種差別やマイノリティの問題が前面に押し出され
それまでのミュージカルを粉砕してしまった。
以後のミュージカルと言われる作品で「モダン・ミリー」だけが
昔の匂いのするミュージカルのような気がする。
昔、そんなこんなを書いて、ある映画雑誌に投稿したら
採用されて掲載された事があった。
何日か経って、故・淀川長治さんから長文のお手紙をいただいた事があった。要約するともっと素直に映画を見なさいと言う
お叱りの手紙だった。不思議な物でそれが縁で淀川さんと知り合う事が出来た。それから知り合いの知り合いと、縁が繋がり私が
映画界と関係を持つようになって、大映に潜り込んでしまった。
「ウエスト・サイド物語」は、私には忘れる事の出来ない映画です。
映画だけでなく、タッカー・スミス主演で日本で上演された舞台、
劇団四季による舞台、宝塚版の舞台とこちらも機会あるごとに
見ている。ジョージ・チャキリスの日本でのソロ・コンサートも見ている。
2002年のデジタル・リマスター・ニュープリントで公開された時も
見に行っている。
CDに至っては、25年ほど前にバーンスタインが専門の歌手を使い
映画版と違うスタイルで指揮した二枚組も買って
聞きながら涙が止まらなかった事を思い出す。
今そのCDを聴きながらパソコンに向かっています。
全てにおいて計算され尽くし、映画美の創造に全てを賭けた
スタッフ・キャストの素晴らしを、今日改めて感じる事が出来た。
今日は一般席でなく、プレミア・シートを購入。
ゆっくりとこの名作を味わう事が出来ました。
私には最高のクリスマス・プレゼントです。
30名ほどの観客。以外にも若い人も多くいた。
彼や彼女たちはどんな思いで見たのだろうか?
聞いてみたい気もします。
映画の後、妻と合流。
二人で珍しく和食のランチ。
クリスマスに和食?何となく和食が食べたくなっただけでした。