進化と創造対決 vol.1 | エホバの証人研究(ブログ)

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ものみの塔 (jw.org) に関わるすべての人に向けてひたすら情報を提供します。



前回の記事の桶のひとしずくさんのコメントから
文章を青い文字にしました。
できる限り,質問系のものは抜き出して回答するようにしています。
抜けていると思う部分や,さらに聞きたい点がありましたら
再度コメント欄でお願いします。

*専門ワードに脚注を追加しました。


はじめに

20. 反論を展開するにあたって
カレブ氏が以前指摘されたようにJWになると進化論そのものを再考察することは皆無です。

重要な点を指摘してくださりありがとうございます。
わたしもこの点はとても重要な点だと思っています。
JWになると,それなりに進化論について知っている気持ちになりますが
ものみの塔協会の出版物は,実際の進化論がどのような理論で成り立っているのか
公平な仕方で解説がされていません。

わたしはここで,JWの人たちが進化論を公平な立場で再考察することを促したいと思います。

桶のひとしずくさんとの対話がこの点で役に立つことを願います。



21. それでは・・・

>果物は「見て好ましい」色や形をしています。しかし果物が動物を引き付けて食べられることにより種を増やしてきたのも事実です。つまり,美しくない種類の果物は存在することができないのです。

これはどうでしょうか。美しいと感じるのはあくまでも人間の視点ですね。たとえばドリアンは見て美しいとは思えないわけですが。
食物連鎖や共存のシステムは私から見れば進化論よりもむしろそのように配置されたという認識を培います。


なぜ現状の自然界を「人間を喜ばせるため」に出来上がった
という説明よりも,自然淘汰(*)による説明のほうが
客観的な判断だと言えるか点を説明します。

*自然淘汰
人為淘汰(人為選択)の対語で、もともとは、自然的な原因によって特定の個体が選択的に生き残ること。C.ダーウィンは、生物は生きていける以上に多数の子をつくるため、子同士の間で生存競争が生じ、環境により適応した変異をもつ個体だけが生存して子孫を残すことを自然淘汰と呼び、これによって適応的な進化が起こると考えた。現在の進化の総合説では、自然淘汰は個体間ではなく遺伝子間で起こり、適応度の高い遺伝子の頻度が世代を重ねるごとに集団内で増加することによって進化が起こると考える。



まず,本当に果物が「人間を喜ばせるため」であるならば
野菜類も同じような美しさや食べやすさを持っていることが自然です。

ところが野菜(葉物,根菜類)は基本的に進化論的には「食べられては困る」ものなので,
その予想通り,灰汁のもとになる成分や,長時間ゆでないと食べられない性質を
もっているものが多く存在します。
人間はこれらを品種改良によって食べやすく(いわば人為淘汰で)
改良してきました。

一方果物は進化論的に「食べてもらわねば困る」ものなので
色による差別化,食べやすさ,簡単にもぎ取れる点など
特異な進化をみせています。

これは「受粉」の仕組みをもつ植物になぜ多様性があるかという
説明においても同じ原則があてはまります。

このように実際に深く追及すると進化論的な説明のほうが合理的で
ある例が数多く存在します。
「神が人間の喜びのために与えた」というのはかなり主観的な
見方が入っています。

ちなみに
「食物連鎖や共存のシステム」を語る面で重要な部分は
肉食の世界です。これを論じれば,さらに聖書(JW流)が示す
動物がすべて草食で造られたという説がガタガタ崩れます。


22. 雌雄の差
これに関しては進化の途上でなぜ性差が生じたかということですね。その必然性はどの過程でどのような自然選択がなされたのでしょうか。

性淘汰(*)というキーワードで調べられることをお勧めします。
そのうちJW向けの入門記事を書きたいと思います。

*性淘汰
性淘汰(せいとうた、英: sexual selection)または性選択とは、進化生物学における重要な理論の一つ。異性をめぐる競争を通じて起きる進化のこと。クジャクやシカのように雌雄で著しく色彩や形態・生態が異なる動物について、その進化を説明するためにチャールズ・ダーウィンが提唱した。性淘汰は通常は自然淘汰とは別のメカニズムとして論じられる。



24. 種の中における環境への順応

たとえばテニスをする人の手は利き腕が若干長くなるという部分があります。
戦後の日本人の食生活と生活習慣の差によって従来よりも顎が細く、背の高い日本人が増えています。

では日本人は進化したのでしょうか。


この言葉から,もしかしたら自然淘汰や性淘汰による進化の仕組みを理解されていないのではないかと感じました。

質問に対する答えると
日本人を含め,すべての生物は進化を続けています。
しかし環境の大激変やウイルスの流行による人口激減などがない限り
目に見えるような変化を生涯中に見ることはできません。

しかし近年背の高い日本人が増えたのはここで言う「進化」とは無関係です。

進化論は環境に順応して遺伝子そのものが変化していくという事実に立脚しています。
ですから遺伝子とは関係のない「筋肉を鍛えた」とか「食生活が変わった」という分野は全く進化論と無関係な話です。


それぞれが別々に一様に進化したとしたら地球の表いるらにいる人間がどうして同じ生理現象を持っているのでしょうか。

これも進化論を理解されていないゆえの発言だと思います。
「人間が同じ生理現象を持っている」のは
進化論では当たり前のことです。
ちなみにチンパンジーも同じ生理現象を持っています。
進化論から予想できる現象です。


また現時点において人類進化が進行中であるのならば
当然それはピラミッドを形成しますから、多種多様な人間以前のさらに多種多様の人間以前のものが存在しない理由はなんでしょうか。



「種分化(*)」を理解する必要があります。
進化は基本的にグループ単位で進展します。

*種分化
生物が、同一の種類から変異を重ね、地理的要因などによってそれが固定されて新しい種が生じること。もしくはその過程。

グループが地理的に隔離されると
別のグループとして分化し進化するという点は
オーストラリア大陸やマダガスカル島の生物を
観察すると理解できます。(そのうち記事にします)

身近な例で言うと,犬とオオカミの例があります。
それは人間が長期間にわたって人為的な淘汰(*)を繰り返した結果です。

*人為淘汰
人為選択ともいわれる。家畜,作物など飼育,栽培の下にある生物について,〈より良好な〉形質をもつ個体を次世代の親として選ぶことは古くから行われていて,その結果として品種の改良や新品種の作出ができることが知られていた。C.ダーウィンが進化のしくみを考えるうえで,また進化論を納得させる手段として,この事実に注目して自然淘汰説を立てたという事実は有名であるが,ダーウィン以後はこのような人間の意図的な選択過程を,自然淘汰と区別して,人為淘汰と呼ぶようになった。


しかし犬とオオカミの場合は完全な意味で種が分化したとは言えません。
なぜなら
犬の中にはオオカミと交配が可能なものがいて,
交雑種を作ることができるからです。

しかし,もし犬とオオカミが数万年の間,交尾しないで
それぞれの進化が進んでいくとやがて交配そのものが
不可能になります。



つまりある時点でサルと人間が文化史それぞれ進化していったというのなら、
なぜ分化した時から現生人類に至るまでの前身的な生物体が存在しないのでしょうか。


分化したグループは進化していく中で卵を産み落とすかのように別生物を生み落して
いくわけではありません。分化したグループとして同じ「遺伝子プール(*)」を
共有するものとして進化していきます。

*遺伝子プール
遺伝子プールとは、互いに繁殖可能な個体からなる集団が持つ遺伝子の総体のこと。


そのような意味では,現存する種はすべて「前身的な生物体」です。


それらは弱者なので自然淘汰されたというのならば、それよりも弱者である単細胞生物はなぜいまだに存在するのでしょうか。

単細胞生物は進化論でいう弱者ではありません。
その生物の生息する領域では人間よりも強者です。

重要なのは自分の生息する領域(ニッチ(*)や棲み分けと呼びます)を得ることができているかです。

*ニッチ
生物を見れば、同じ場所で同じものを食べているように見えても、種類が違えば何かしら違ったやり方で食べたり、時間をずらしたりして、互いの活動が完全にぶつからないようになっていることが多い。これは、一見同じニッチに見えても、それぞれ少し異なるニッチを占めていると見ることができる。



これまでに絶滅した種は現存する生物種の数より多いのはご存知でしょうか?
彼らが絶滅したのは自分の生息する領域の環境にたまたま適応できなかったからです。


そもそもすべての生物が生存のために進化すというのならなぜ進化するに従って寿命は延びないのでしょうか。

寿命は伸びていないわけではありません。
しかし
女性に生殖可能な年齢に限界がある限り,寿命が延びる進化的な理由がほとんどありません。
進化は生殖と関係しており,寿命とは無関係だからです。
進化論から予想されるのは人間は生殖可能な年齢の幅を徐々に増やしているであろうということです。
閉経年齢を数千年前の人間と正確に比較するのは難しいでしょう。
進化論から考えると閉経年齢が伸びる理由はありますが,寿命が延びる理由はありません。
この点は進化論の基本概念を理解する必要がありますが,
そのうち記事にしたいと思います。


25. Re:無題
日本では報道されませんが進化か創造かというのは科学者の間では大論争です。


実際にはそうでもなくて,科学者の間での論争ではなくて
クリスチャンVS進化論 という表現のほうが合っています。
90~99%の科学者の間では進化論に関しては一致していると思います。
(もし統計がありましたら教えてください)

ほとんど変わっていないというのが世間の認識ではないでしょうか。
であるからこそ進化論は現生人類が誕生するまでには長い時の流れがあったと物差しを引かざるを得ません。
その物差しが数万年、数十万年という期間であってほしいという願望です。


願望ではなく,地質学や生物学の研究から出た結論です。


つまりそれほどきわめて漸進的なものであるならば
当然現生人類直前の生物体が世界に一様に存在しなければなりません。


さきほど説明した「種分化」の概念を理解すれば
サルと人間の中間種が無数に存在するはずであるという
前提そのものが間違いであるということがわかると思います。


素材を並べておけば誰も手を加えないのに料理ができるのでしょうか。
できた料理を放置しておけばどうなりますか。
進化論者はまず時間が物事を建設的にまたより高度なものへと進展させる力が持っていることを証明しなければなりません。


桶のひとしずくさんは「種」の範囲内では進化が起きていることを認めていたと思います。

であれば,生物が時間とともに環境に合わせて変化する,つまり必要であれば
「高度なものへ進展する」ということも認めていることになるんです。

もちろん何を指して「高度」と言うのかにもよりますが
基本的には「淘汰圧(*)」と呼ばれる進化を促す環境要因があれば
進化するのは事実だということまでは一致していたと認識しています。

*淘汰圧
生物種を環境が淘汰しようとする圧力。ある生物種が生き残って子孫を残そうとする時、その難しさが『淘汰圧』。淘汰圧が強いほど進化の速度が増す。逆にある生物種に対して生き残るのになんら障害がない場合は淘汰圧がない状態で,進化は起こらない。


桶のひとしずくさんの現在の結論は,小さな進化はするが
その進化が種の枠を飛び出すことはない
というものではないでしょうか?


最後に

さらに生命は生物学的により高度なものへと進化していくのは生命細胞がその中にそういう遺伝子をすべて共有しているということでしょうか。
それとも完成した生命体を見て類似構造を見てこれがこれに進化したと論じるのでしょうか。
後者の場合生命体がより高度なものを目指す能力を有している証明にはなりません。



この文章の意味はわかりませんでした
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