自然なものは美しい | エホバの証人研究(ブログ)

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以下は http://ehoba.net/ に投稿された内容と同じものです。自然を美しいと感じる性質がなぜ存在するのか,進化論的な説明となります。気軽にお読みくださいませ。

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「美しく感じる」

自然界を眺めることでリラックスできる人がほとんどだと思います。ぼくたち人類は昔から「自然なもの」には安心感を得,「不自然なもの」には緊張感や警戒感を感じてきました。人間がもつこのような感情は,「全能の神が人間のために与えたものだ」という説明もできますし,長い進化の途上のなかで備わった「生きるのに有利になる特質」という説明も可能です。

それにしても自然界が見せる様々な現象,たとえば入道雲や夕陽,夏の緑の大地,秋の紅葉などを見て「美しく感じる」感情は人間が生きていくために必要不可欠とは言えません。それで,その特性が進化によって生じることなどあり得るのかという疑問が生じます。

この点を説明するにあたり,幾つかの点を確認しておく必要があります。

まず,「美しく感じる」感情というものは相対的なものでもあるという点です。自然を「美しい」と感じるのは心の中の安心感とも関係しており,それは変動する感情でもあります。

例えば,日が暮れるころに真っ赤に染まり豊かな色彩で空が飾られる夕焼けを生まれて一度も見たことのない人が突然前触れもなくその光景を目にしたら本当に「美しく」感じるでしょうか?必ずしも「はい」とは言えません。

ぼくたちが眺めている夕焼けは,もしかしたら子供のころ母親の背中におんぶされ,ゆらゆら揺れながら見た夕焼けと同じ光景かもしれません。あるいは子供時代に友達たちと楽しく過ごした後に夕飯が用意された家へ心ときめきながら帰る途中で見た光景と同じかもしれません。ぼくたちは自然界の光景を見て安心感を得れるような場面においてそれを「美しい」と表現しているのではないでしょうか。

実際,夕焼けや紅葉など,ほとんどの人が「美しい」と感じるものもあれば,自然の光景であっても美しいと感じないものもあります。そして美しいと感じるか感じないかが人によって異なる場合もあります。

例えば古代の文献によると,流れ星を不吉なことと関連付けて見たために流星群を見ても美しいどころか恐怖を与えるものになっていた時代もあります。ハレーすい星がまるで剣のように空にとどまって見えたときに恐怖のあまりパニックがおきたと記す歴史的記述もあります。しかし,現代の人の多くは流星群による流れ星がどのようなメカニズムで起きるかを知っていますので恐怖感はないでしょう。むしろそれを美しいと感じることができるのです。

同じように夜の満点の星空を眺めたときはどうでしょうか?それを見る場面が誰もいない森の中であれば,暗闇の中の星空は「美しい」ものとは感じないかもしれません。

しかし,夜行性の動物,つまり夜の暗闇の中で餌を探す動物たちにとっては暗闇の中の星空こそ「美しく」感じているかもしれません。もちろんその「美しさ」は人間の感じるものとは異なるものです。

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荘厳な自然界の光景を見たとき

自然界の荘厳さ,例えば高くそびえ立つ断崖絶壁を見たとき,あるいは自然界の未知の光景を見たときに興奮を覚えることがあります。特に男性は未知の光景や壮大な光景を見ると,ある種の冒険心のような感情が掻き立てられます。

あなたはヒマラヤ山脈で亡くなった冒険家たちのことを聞いたことがあると思います。そのほとんどが男性です。最近になって女性の遭難死のニュースも出てきましたが,ほとんどはガイド付きツアーのルートでの事故です。

男性が自然界の荘厳さに魅了される一方,女性は自然界のより安定したもの,日常的なものを求めます。それは身近に咲いている花や,果実かもしれません。もちろん男性女性で傾向を二つに分けることはできませんが,自然界を見た時の感じ方には明らかな性差があります。

このような性差に対してどのような合理的説明が可能でしょうか?

人類がアフリカのサハラ砂漠から出た後,彼らが食物を求めて移動する中,目の前には常に川や山,切り立った絶壁が存在していました。食物を得る役割は主に男性にありました。女性の食物を得る点での役割といえば居住地の周りにある植物や果実を採取する程度のものであったことでしょう。男性の中には目の前にある困難を乗り越えて狩りに進んで出かける傾向のある者と,そうでない傾向の者がいたことでしょう。一つ言えるのは自然界の困難に勇敢に挑んてきた男たちが率いる種族だけが新たな地を獲得することができたということです。

このような性差は,地上の楽園での生活を想定すると説明がより難しくなります。もちろん「神が人間男女をそのように造られた」と説明することも可能です。しかし,男たちがスリルを求めたり,冒険に挑もうとしたりする傾向を持つことは,豊かに地の実りが産出される地上の楽園を想定した人間では説明のつかないものがあります。

確かに自然界は美しいもので飾られています。果物は「見て好ましい」色や形をしています。しかし果物が動物を引き付けて食べられることにより種を増やしてきたのも事実です。つまり,美しくない種類の果物は存在することができないのです。

そもそも人間が地の草木だけを食べるように設計されているのであれば,なぜ肉を美味しく感じるのでしょうか?なぜ肉や脂肪を焼いたときに出される匂いに食欲をそそられるのでしょうか?神が人間を地の草木だけを食するように造られているのであれば,人間にはそのような味覚が存在することが不自然になります。

このように突き止めていくと,神が人間を創造された証拠とみなされるものも,長い年月の進化の過程で生み出されたものとしての説明が可能ですし,むしろその説明のほうが合理的な場合もあるのではないでしょうか?





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