ガイドヘルパーの初日講習を受けて思ったこと(前回の続きから)
ガイドヘルパー(知的障害者の外出を支援するヘルパー)の養成講座に参加して、
いろいろ気づきがあったので、それを少々。
まず、KAZUが支援を受けていて、ずっと、ずーっと感じていた違和感の原因がわかった。
支援員さんは、(その実態はどうであれ)KAZUの意思を尊重して、KAZUの行きたいところに行きたいように行くことを支援してくれている。疑問と違和感は、「それっていいことなの?」ということだ。
たとえば、KAZUは電車を観るのが大好きなので、電車で移動して目的の駅で降りたら、すぐに改札に行くのではなくて、ホームを何往復かしながら行き交う電車を眺めたり、電車に手を振ったりしたい。
「観たぞ」と納得してからエスカレーターに乗るなり階段を上り下りするなどするのは問題ないけれど、その本人の希望(こだわり)を無視して腕を引っ張って無理にホームから立ち去らせようとすると、全力で抵抗してホームに寝そべり、「絶対起き上がってやるものか!」というように起こそうとするこちらの手を振り払われることになる。
私がKAZUと一緒に電車で移動するときにはその繰り返しで培われたリズム(妥協点)があって、ホームに降りてもすぐに歩き出さず、ドアの脇の邪魔にならないところに移動して、
電車のドアが閉まるのを見せてあげる(ドアがピタッと閉まる様子を見るのが何より好きなので)
→
その場で電車が見なくなるまで見送る
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「行こう?」と声をかけて誘う(ここで無言で歩き出すのは絶対ダメ)
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嫌がる
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「じゃあ、あと一回見たら行っていい?」
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「うん」(「「あといっかい」、「もう一回」という言葉が好きなので、ここは肯定してくれる)
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「じゃあ、電車がくるまでに、階段の近くに移動していい?」
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(ここはよくも悪くもないので何も答えない(そこにはこだわりがない)のでそのまま手を引いて移動)
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次の電車を観る、その電車を見送る→エスカレーターや階段の人の波に乗って移動(人の波には逆らわないところがあるので、人の後ろについていければ割とスムーズに移動できる)
二人の関係の中ではこの流れが固定化しているので割と問題なく移動できるのだけど、
これが、移動支援員さんと一緒になると、本人が納得するまで、何台でも電車を見送るし、ホームを何往復も歩いたりする。
それを繰り返すたびに、「そうしてもいいんだ!」と本人が学習するから、私と一緒の時も、だだをこねてみたりする。
だから、「これって教育的にどうなんだろう? いいのかなぁ?」という疑問が、ずっとずっと拭えなかった。
でも、ガイドヘルパーの講習を受けてみて分かったのは、「ガイドヘルパーは教育者とは違う!」ということ。
学校の先生はKAZUに教育をするし、親は親としてKAZUと関わる。その一方で、ガイドヘルパーは「ピープルファースト(障害者である前に人間である、という障害当事者の主張)を実現すべく、障害者自身の意思で、本人の行きたいところに行くことを支援する」を実現させるために支援してくれている。
そうか、それぞれの人が、それぞれの関わり方をする。それがいいんだ!
と気がついた。
確かに、KAZUが移動支援を活用していろいろ好きなところに移動できるようになって楽しみを知っていけば、
物理的な移動範囲も広がるし、親の目の届かないうごきが増えて、親という立場だと心配だし不安になるところもあるけれど、じゃあ、障害がない子だったら、その子の放課後の行動を親が全部把握しているの? と考えると絶対そんなことはない。というか、それでは過干渉な、「ただのうざい親」だと思う。
あぁ、自分はKAZUに知的障害があるからといって、勝手に「守るべきもの」というレッテルをはって「うざい行動」を正当化していたんだなぁ…と。
そして、これって本人の自律を妨げる、はまりやすい典型的なヤツじゃん、と。
※ガイドヘルパー(「ガイヘル」、と縮めるようです)


