新しい土地に来ました。生活を整えるのも大変ですが、仕事も覚えないといけません。とにかく東京23区より2倍以上面積がある町ですから、どこに何があるのかをまずは覚えないといけません。

 

ということで、連休を利用してあちこちへ行っています。

 

まずは南へ。この先は根室に接しています。その手前の奥行というところ。人はそんなに住んでいません。ただ、昔は鉄道が通じていました。その名残を観てきました。

 

 

冬季間(4月末までというのが北海道らしいところ)は中に入れません。ギリギリ4月だったので外から見学しました。駅逓所(えきていしょ)とは、交通不便の地に駅舎と人馬などを備えて、人馬の継ぎ立てと宿泊、物資の逓送等に便宜を図るために設置されたものだそうです。(別海町ホームページより)

 

 

 

 

 

 

 

そのあと北上して、新酪農村展望台へ。

誰がやるのか分からない顔はめパネルの後ろにあるのが展望台です。展望台とは名ばかりの鉄骨造りの建造物? この日は穏やかでしたが、風の強い日はかなり怖いそう。

 

 

写真では伝わりにくいですが、ホント雄大な風景。実を言うと、展望台に登らなくても町中どこもかしこもこんな風景なのですが😊

道もまっすぐに伸びています。車も殆ど通らないので、落ち着いてこんな写真も撮れます。

 

翌日、今度は西の端へ行ってみました。

ここから向こうは標茶町(しべちゃちょう)です。

少し東へ戻り、西春別というところへ。ここには「駅前〇町」という地名がいっぱいあって、鉄道も通ってないのに不思議だなあと思っていました。実は、かつて(国鉄、JR)標津線という路線があったんですね。1989年(平成元年)4月30日に廃線になっています。(余談ですが、わたしの親友NK君は1989年4月25日生まれです。)

 

今は西春別駅の跡地に別海町鉄道記念公園・資料館が整備されています。

入館料無料が嬉しいですね。そして通年開館しているのも、この地では珍しいことです。

 

 

 

 

 

サハリンのソ連国鉄へ向けて輸出されたD51です。

 

 

 

 

 

そして次の日は、東側へ向けて出掛けました。東はもっと進むと(道は違いますが)根室へ行きますね。また別海町を制覇?したあかつきには根室へも行ってみようと思います。この道の先は風蓮湖になっていて行き止まりです。実は見落として走り続け、あれ?行き止まりじゃんということで引き返したのはココだけの話。

 

 

ここは伊能忠敬が測量に来ることが出来た東の端だそうです。交通が便利な現代でもここまで来るのはなかなか大変なのに、と思うと深い尊敬の念を抱きますね。そして49歳で隠居した後に暦学やら天文学を学び、測量の仕事を始めたと知ると(これは前に勉強して知っていました)47歳から新天地に来て、新しい仕事を覚えようとしているわたしにとっては、大きな励ましになりました。

 

 

これは本別海一本松だそうです。看板も何もないので、地図に書いていなかったら知ることも無かった存在です。まだまだ行けていないところもあるので、今後も頑張ります!