私は元から証人の教えを信じることが出来ず、親のためにやっていたようなものなので、中学2年生ころになると宗教が嫌で嫌でたまりませんでした。
うちの地区の中学校は文系の部活がなく、体育系しかなかったのですが、学年250名くらいいるうち、部活に入らないのは10人いるかいないかです。
入学して時間が経ってくると部活を辞めるものも出てきて、帰宅部仲間が増えてくるわけですが、初めから部活に入らないものははっきり言って変人です。
私も同級生から不思議がられました。
そして私以外の兄弟も、学生のころに部活動をさせてもらえなかったことをずっと大人になってからも口にしていました。
自分はどうしても部活に入りたかったのに宗教のせいで許してもらえなかった、と。
女子より男子の方が悩みは深刻だっただろうと思います。
私の記憶と認識では、剣道や柔道以外のスポーツそのものがダメなのではなく、部活動をすることによって休みの日は遠征に出たり、平日の集会に間に合わなかったり、土曜日の昼も練習があるために奉仕など証人の活動の妨げになるからダメだったのだろうと思っています。
集会へは自然と行かなくなりました。
集会の日にはわざと遅く帰り、家族が集会に行っている間にこっそり家に帰っていました。
帰ってきて何を言われるか、何をされるのか怖かったです。
正直言って集会へ行かなくなった頃からの中学時代の記憶がほとんど自分の中でないのです。
無意識のうちに記憶から除外してしまってるのかもしれません。
覚えていることは、家に帰ると父親が待ち構えていて、持ち物検査から説教が延々と何時間も続くことだけです。
家に帰ると鞄の中身をすべてチェックされ、同級生からの手紙、交換日記、すべて捨てられました。
世の人と関わるから娘がこんなにおかしくなるんだ、と思ったんでしょうね。
その時の父親のしつこさ、執念はすごかったです。
長男と同じく私も非行に走りましたが、タバコを隠すのに必死でした。
家の塀の隙間に隠してみたり。
それでも見つかりました。
そのうち家からずいぶんと離れたところに隠し場所を見つけてそこに隠すようになりました。
そしてタバコを買う金欲しさに悪さもしました。
今考えると本当にそれは申し訳なく、反省もしています。
私は長男のように排斥の処分は受けていません。
長男の時は初めてのことでどう対処していいか分からず馬鹿正直に報告しましたが、その後の兄弟は誰一人排斥されていません。
私は中学卒業と同時に親元を逃げ出しました。
母の弟が警察官をしており、県内の移動に便利なように県央である隣の市に住んでいて、子供もいなかったのでそちらに住まわせてもらいながら高校に通い始めました。
本当は中学卒業と同時に美容学校に入りたかったのですが、もちろん認められるわけもなく、そんなお金もあるわけもなく。
私はただ甘えていただけだけです。
叔父と、叔父の奥さんには迷惑をかけすぎました。
当時叔父の奥さんは今の私と同じぐらいの年齢だったのですが、今の私に同じことが出来るか、と思うと出来ません。
自分とは血のつながりもない他人の子供をそこまで面倒見れません。
子供で、甘えていた私はそれすらも分からず、問題ばかり起こし、結局叔父の家からも出ていくことになり、実家に戻りました。
しばらくは電車で1時間半ほどかけて高校に通っていたのですがすぐに続かなくなりました。
盗みを繰り返し、人様に迷惑をかけてばかりでした。
そして2年生の夏に高校をやめました。
公立の高校に受からなければ自分の人生のすべて終わると思っていた高校をです。
その後は年齢18歳、学歴を高校卒業と偽ってパチンコ店やいろんなところで働きましたが、住むところには本当に困りました。
遊び仲間の友達の家を転々としながらバイトに通う生活をしていましたが、いつまでも友達も付き合ってはくれません。
その当時の友達にも本当に迷惑をかけました。
結局行き着いた先は住むところを持っている男の人に依存することでした。
19歳、20歳の頃からずっと当時付き合っていた人と一緒に暮らしてました。
男の人を選ぶ基準が一人暮らしであること、でした。
そのような生活を7、8年続けて当時一緒に暮らしていた男性の転勤についてまわって転々としました。
そして今の福岡県で旦那と出会いました。
私は親類もいない一人ぼっちの人としか結婚も出来ないだろうから、一生結婚は無理かもしれないなとどこかであきらめてました。
結婚となると相手の家族や親せきも関わってくることです。
エホバの証人の子供となんて普通の考えを持っている家族なら許してくれるはずがないからです。
それまで誰にも親の宗教のことは話したことがなかったのですが、結婚したいと言ってくれた旦那に初めて自分の口で話しました。
びっくりしていましたが、旦那も、お義母さんも認めてくれて5年前に結婚しました。
子供はいません。
子供を作ることに恐怖があります。
自分がまともに育てられる自信もなく、同じことを子供にするのではという思いがどこかにあるからです。