不完全であることの豊かさ
〜わびさびが教えてくれる、頑張らない生き方〜
先日、茶室に飾る茶花を生けている時、枯れている葉っぱや虫食いの葉っぱがありました。きれいな状態よりも虫食いの葉っぱがなぜか愛おしく感じて、そのままにするだけで、自然な温かみをたたえて見えるのです。
私は常に、何かを「完璧に仕上げよう」と無意識にしてしまう癖があります。仕事も、家事も、人との関係も。今日は、そんな心にそっと寄り添う、わびさびの智恵を感じてみたいと思います。
わびさびとは何か 〜足りないことを愛でる心〜
わびさびとは、完成された美しさではなく、移ろいゆくもの、欠けているものの中に美を見出す日本人の感性です。庭園の苔むした石、時とともに色を変える竹垣。それらは「完成」からはほど遠いかもしれません。けれど、そこには時間が刻んだ物語があります。足りないことや不完全であることは、決して劣っていることではないのです。そんな事を感じられるようになった自分にも時間を刻んだ物語があるんだなぁ~としみじみ。
一服のお茶に見る『頑張らない』所作
お点前をしていると、お茶を点てている手が今日はどこかぎこちなく、泡が均一に立たない日があります。そんな時やり直したい衝動に駆られけれど、その日その時にしか点てられない一服として、そのままいただくようにしています。整えようとする力を少し緩めるだけで、お茶はふしぎと優しい味わいになっていることを気づいた時、少しうれしい自分がいます。
欠けているからこそ、そこに宿るもの
例えば、金継ぎという技法をご存知でしょうか。割れてしまった器を、金の線で継ぎ直す修復方法です。割れる前よりも、金継ぎを施した器の方が美しいと感じる方も少なくありません。それは、傷を隠すのではなく、傷そのものを景色として受け入れているから。私たちの心の傷や弱さも、同じように、隠すべきものではなく、その人だけの物語として輝く余地があるのではないでしょうか。
今日から始める、頑張らない小さな習慣
今日はたった一つだけ、「完璧を目指すのをやめてみる」。お茶を一服、自分のためだけに点ててみる。整った所作でなくても、その静かな時間が、頑張り続けてきた心をそっとほどいてくれる気がします。
不完全さは、欠点ではありません。それは、物語が刻まれる余白なのだと思います。今日、愛おしい不完全はどこにありますか。その不完全を責めずに、そっと愛でてあげたいなと思います。
