浜松市中区幸にある美容室2doの伊藤潤哉です。

ヘアスタイルを作る上で欠かせない

ファッションについて、

先ずは歴史からインプットしていきます。

ブログを良いアウトプットの場として

理解を深めたいと思ってます。

 

 

 

50年代くらいから面白く

なってきますよー^^

 

 

19世紀のファッション

 

まず、なんか聞いたことある

オートクチュール』とは?

オートクチュールという言葉は、

パリの高級注文服業界でつくられる服

のことを指します。

限られた個人客からの注文を受け、

一点一点手作業で製作した服です。

 

 

 

オートクチュールと一緒に

聞いたことある

プラタポルテ』とは?

 

プレタポルテ(高級既製服)は、

基本的には卸売業者から

 

大量受注して生産する流れです

『着るために用意されている』

という意味で、サイズの違いもある

『出来上がっている服』です。

詳しくは1960年代のファッションで書きます。

 

 

 

 

1950年代まではパリコレと言えば、

オートクチュール・コレクションを指しましたが

、パリでは1960年代からスタートしたプレタポルテ・コレクション

が勢いを止めず、現在では

プレタポルテ・コレクションとオートクチュール・コレクション

の双方を指します

 

 

 

 

まず、現在のオートクチュールとプラタポルテの違いです。

一部ですが、、、、、

Dior オートクチュール2018s/s

 

 

 

Diorプラタポルテ2018-19a/w

 

プラタポルテの方がすぐ着られる服で覚えやすいです^^

 

 

 

では19世紀に戻って、オートクチュールの誕生からです。

オートクチュール以前のファッション業界

 
 

オートクチュール以前のファッション業界の仕組みは

現在とは大きく異なるもので、すべてが分業されていました。

・テキスタイル(生地)のメーカー

・アクセサリー・装飾品を取り扱うメーカー

・仕立屋(デザインをするクチュリエ、ドレスメーカー)

・縫製担当者が別々に存在していたのです。

各企業が別々に存在するのは現在も当てはまりますが、

 

この当時はカスタマー(注文者)は自身で、生地を買い、

 

装飾品を集め、そのパーツを仕立屋に持っていき、

 

仕立屋が注文者の体に合わせてデザインし、

最後の縫製は仕立屋とは別に存在する針子が請け負うシステムだった

のです。これには当時のギルド制が背景としてありました。

当時のファッションの最大のステータスは、テキスタイル(生地)にあり、

デザイン面に関してはそれほどステータスが高くなかったと言われています。

 

オートクチュールの誕生

オートクチュールのシステムを作ったのは

イギリス人のシャルル・フレデリック・ウォルト。

彼は1860年代、ナポレオン3世時代の皇室ご用達のクチュリエ(ドレスメーカー)として名を上げます。

 

今までのファッション業界のシステムは

非効率だと考えていたウォルトは、

ファッション業界のシステムを変えてしまいます。

その新しいシステムがオートクチュールです。

それはデザイナーが複数の服のサンプル(モデル)を用意し、

モデルに着せて見せ、それを顧客が選択し、

自分の体のサイズに合わせて作るというものです。

デザイナーはテキスタイルの選定、デザイン、

仕上がりの見直しまで一貫して管理する立場となりました。

これにより、顧客に服が届くまでの時間が短縮、

生産システムが効率的になり、

より多くの顧客にウォルトの服を届けることが出来るようになったのです。

オートクチュールはこの生産システムの元に生まれました。

 

このドレスには繊細な装飾が施されており、

こういった装飾は、優美さと共に贅沢の象徴でもありました。

 

 

デザイナーの誕生

 

1870年のナポレオン三世の帝政崩壊後

それはこれまでファッション業界で絶対的な権力ち、

ある種のトレンド、美学をつくってきた、皇帝がいなくなり、

絶対的なものがなくなりました。

ファッションデザイナーは

「皇室の服(すなわちその時代のトレンド)を作っている人」から

「自身がトレンドを作る人」になったのです。

こうして優れたクチュリエの服を着ることが、

ある種のステータス、トレンドとなり、

デザイナーという職業が生まれ、ファッション(トレンド)を作るものが「

着るもの(皇室)」から「作るもの(デザイナー)」に代わったのです。

 

 

そして、19世紀も中頃になると、ドレスの裾が広がってきます。

クリノリンの流行です。

 

 

クリノリンは、ヴィクトリア朝

(ヴィクトリア女王がイギリスを統治していた1837〜1901年の期間。

この時代はイギリス史において産業革命による経済の発展が成熟に達した

イギリス帝国の絶頂期であるとみなされている。)

のイギリスで急速に広まりましたが、あまりの大きさに、

日常生活にまで支障をきたすようになり、わずか数年でこの流行は終わります。

 

参考

100 years of fashion

 

 

 

ファッションプレス


 

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