こんばんは!動点Pです。

タスク管理が絶望的とこの前書きました。1日にやらなければいけないことを書き出してみたところ、案外少なくてパパッとこなせて自分の勉強が出来るようになりました。ちょっと精神的に楽になりました。まぁ昨日は、また授業開始時間を1時間勘違いして、英語の授業を寝ぶっちしてしまったんですけど…笑 ほんとにあほです。少しずつ改善します…笑


今日は今まで知らなかった数学の魅力がまた一つわかったので書こうかなーと思います。


前置きなんですけど、僕は「本質的」っていう言葉を使う人があんまり好きじゃないんですよ。たまにやむを得ず使ってしまうことはありますが、本当は嫌ですし、本質的っていう言葉を聞くたびに耳がぴくってなります笑。例えば、僕が一番嫌なのは、「勉強の本質はこれこれである」とか言っている塾講師だったり、YouTubeやってる大学生とかです。あ、僕の偏見もあるのであんまり参考にしないでください。


なんでかって言うと、「どうしてあなたの考えていることが本質だと分かるんですか?」ってつい言いたくなるからです。「物理の本質はこうである!」って自信満々に書いてるのに、普通に書いてあることが間違ってる参考書もあります。そんな簡単に本質が分かるなら苦労しないわ!って毎回ツッコみたくなってしまうんですよね笑。まぁ、「本質的」がいうレベル感が人によって違うっていうのはありますね。



で、どうして本質が見えにくいかって、複雑すぎるからですよね。例えば社会の本質とか、人間関係の本質というのは、流石にテーマが複雑すぎて、それらが分かるなんていう人はいません。もしそういう人がいたら少し怪しいですよね笑。


ここまでが前置きで話を戻します。数学の魅力として、本質が見えやすいというのはあるような気がしました。高校数学までだとあんまり無いですが、大学数学はどんどん一般化をしていきます。まぁ現代数学はという方が近いのかもしれません。


例えば高校数学では関数の連続とかを考えます。それは実数同士の距離があるから定義が出来るわけですが、大学では距離のない空間での連続とかも考えます。そうすると距離を一般化したものとして開集合を使えば良いわけです。


上の話をまとめると、数学では余計な枝葉を取り除いていって、どんどん統一的に考えたいわけです。そうすると、「本質」を見るのに余計な要素が無くなって、そのものが持つ特有の性質が明らかになるんですよね。とてつもなく頭の良い人が「本質」を見抜いて、一般化したのが数学です。なので僕みたいにあんまり頭の良くない人でも、そこそこな「本質」が体感できるわけです。それが数学の魅力かなーとも思いました。



教養科目でいわゆる文系の授業を受けて思ったのが、言葉の定義が難しいんですよね。例えば、「グローバル化の問題点」について考えるなら、まずグローバル化が何であるかをきちんと定義しないと、議論したところで噛み合わなくなっちゃいます。数学であれば言葉の定義が厳密です。だからそこで話し合う必要はあまりなくて、同じ土俵で考えられます。


数学を勉強して、物事の考え方とか捉え方が少しだけ分かったような気がしました。これも多分数学の魅力ですね〜。


今日はこのくらいにします!見てくださった方ありがとうございました。