こんばんは!動点Pです。
最近家で数学以外の勉強ができません。今日は外でたっぷり数学をしてしまったので早く寝て、明日外で理科を勉強します(笑)
そろそろ志望校を決定し始めようと思っています。前から僕のブログを見てくださっている方は知っていると思いますが、僕は現役の時に東大を受けて落ち、今は京大志望です。関東圏に住んでいるので京大なら一人暮らしになるわけですが、とっても反対されてます(笑)
親やおじいちゃんおばあちゃんは、僕に拒絶されていると感じるみたいで嫌らしいです。どうしてそんなこと感じるかというと、後ろめたさがあるからみたいです。確かにあんまりよい環境で生まれたかって聞かれたら、人によっては可哀想だって思うのかもしれません。実際、祖父母や親戚の人はそう思ってたみたいです。僕は全く気付きませんでした(笑) だから僕にだけ優しいのかと納得しました(笑)
ただ、僕は生まれた環境が不幸だったかと聞かれたら全然そんなことはないと今ならわかります。小学生の低学年の時に、なんで生きているんだろうって毎日考えながら学校に行っていた時は確かにしんどかったし、中学高校生の時は、どうしてこんな人生なんだろうって病むときも多かったです。だから精神的に満たされないっていうのは生まれてずっと感じてきましたが、その代わりに経済的には不自由させまいと生活させてもらってました。
僕の両親も祖父母も自分のことしか考えられない、他人に向ける優しさも自分本位の、あえて言うならどうしようもない性格なので、僕には人生の決定権がないのかと恨んでました。でも今思うと、それも含めて僕の人生なんですよね。数学に会えたのも、彼女に会えたのも、友達に会えたのも僕の人生だと思うと、「ああ、人生って出会いなのかー」って感じました(笑) なので今の人生には感謝しています。一人暮らしをするくらいで拒絶されていると感じないでほしいですね(笑) 僕が母に会えるのに、ずっと会うことを選択してないことを知っているから怖いんですかね。
僕が最近思うのは、人間の直感で理解できるのってほんのわずかだと思うんですよね。科学の世界でもそうですが、例えば量子力学とかは人間の直感に反しているから難しいらしいんですよ。高校物理でもやるように、光は粒子の性質も持つけど、波としての性質も持つみたいなのもあるじゃないですか。もっともっと自分の世界を広げようと思ったら直観に反しているものも受け入れないと、どうしても考えが固くなります。会えないから寂しいっていうのはそう思い込んでいるだけです。確かに僕は一回家を出たら多分帰ることはないと思うんですけど、会えないからって思い出とか記憶がなくなるわけじゃないです。思い出とか記憶が形がなくて消えちゃうかもしれないって思うから悲しいんです。たとえ会わなくても、たとえ死んでしまったとしても、たとえ忘れても、概念として残っていたらそれで十分じゃないですか。僕は小さいときの記憶っていうのが、脳がトラウマだと認識したのかわかりませんがすっぽり覚えてないんですよ。それでも家族で幸せだった時のことがほんのわずかでもあって、それっていうのはどこかにはあると僕は信じているので満足しています。
ちなみに僕が数学が好きなのもそういう理由だからだと思うんですよね。もし地球がなくなっても数学は存在するので(笑) そんな感じでもっと感覚的には非自明なものを認めてしまえば楽になると思うので、親や祖父母にはそれを認める勇気を持ってほしいです。わからないことはわからないまま認めてしまっても僕はいいと思います。
なんか難しい話になってしまいました(笑) わかってほしいっていうよりも、僕が書きたかっただけかもしれません。