こんばんは!動点Pです。
昨日彼女に会ってきました。1か月ぶりくらいなんですかね?学業成就のお守りをいただいて筆箱に付けたので写真を載せます(笑)
お守りは白いやつで青くて丸いのはくらげって呼ばれているものです。こうしてみると、筆箱に対してのくらげの大きさの比がすごいですね。くらげ大きいです(笑) おまもりをもらったおかげなのか今日はとても集中できました。長らくつまらないと思っていた物理と化学に対しての興味もわいたので勉強していて苦痛を感じませんでした。演習をやろうって決めて良質な問題を解いているからつまらなくないのかもしれません。いかにも受験対策みたいなつまらない問題は解いていて心がすさんでいく感じがしますが、面白い問題は解いていて楽しいです。
話が変わるんですけど、特色入試の選考が通って、学びの計画書っていう願書の長いバージョンみたいなやつを書いています。志望動機を書く欄には、やっぱり京大のアドミッションポリシーに沿ったことを書くのがいいなーと思い、読んでいるんですけどよくわかりません。
理学部が理想とする学生像が、「自由を尊重し、既成概念を無批判に受け入れることなく、自ら考え、新しい知を吸収し想像する姿勢を持つ人」、「高等学校の教育課程により培われる十分な科学的素養、論理的合理的思考力と語学力を有し、粘り強く問題解決を試みる人」だそうです。2つ目はなんとなくわかるし、1つ目の後半もわかるような気がしますが、「自由を尊重」って何ですかね。
世界史を勉強しているので、政治的な理由や宗教的な理由から学問を自由に学ぶことができない時代があることは知っているんですけど、もうちょっと意味があると思うんですよね。だって「自由を尊重」の主語は学生だったり、教授だと思うんですよ。上のような理由から自由が保障されないのであれば、自由を尊重すべきは学問をやる人というより社会ではないかなーと思いました。例えば、16世紀のイタリアの学者であるジョルダーノ・ブルーノさんは地動説を唱えた結果、当時教会で教えられていた天動説に反しているからっていう理由で燃やされちゃいました。だから学問をする人が自由を尊重するだけではなくて、社会も学問の自由を尊重しなければ意味がないんです。そうであるのに理学部のアドミッションポリシーは、学生や教授が主語となる文章で「自由を尊重」と書いてあるんですよ。それがわからんなーって思ってペンが進みません。
素直にここの意味が分からないので、それを学ぶために京大に入れてくださいって書くのはダメですかね(笑) 知ったかぶりするよりはましかなーと思うんですけど(笑) まあー、そんなわけで苦戦して書いてます。今週に母校の担任の先生に僕の書いた学びの計画書を読んでもらうので何かわかればいいなーと思っています。
今日はこのくらいにします!見てくださった方ありがとうございました。