東北地方太平洋沖地震の記録 | 結婚10年 ききのHAPPY LIFE

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結婚して早10年。派遣OLをしている’きき’と言います。

旅行が好きなので旅費貯金のため?日々節約をしています。
海外・国内共にビーチリゾートが好きです。

そろそろコウノトリさん、来てくださ~い。

2011年3月11日15時頃。私は、いつも通りに仕事をしていました。

埋立地に建つビルの上階なので震度5でも、揺れがすごく立っていられないほど。


ほとんどの人が、はじめて経験する震度だと思います。

ヘルメットをかぶり、机にしがみつきしゃがみ。

中々揺れが止まらない。


一度収まったところで、グランドに非難。

ガソリンスタンドの横を通る避難経路。

同じ敷地内には、ガスタンクやガソリンタンク。


避難中も、事務所に戻ってからも余震の連続。

実家とは割りと早くに連絡がとれたものの、旦那さんや旦那さんの家族と連絡が取れたのは

地震後3時間半がたっていました。

私は、携帯電話、会社の固定電話からひたすら家族5人(旦那両親兄弟)と固定電話2箇所(家と実家)

に電話をかけたのですが全くつながらず、メールの方が連絡が早かったようです。

ただ、旦那を含め家族は、メールの新着問い合わせの仕方を知らないと思います。


幸いなことに家族は皆無事でした。


友人からも多数のメールが来ました。

徒歩で数十キロを帰宅する人。電車がストップなので会社に泊まる人。

車で15時間かけて明け方帰宅した人。知人の家に宿泊した人。

電車が止まり職場の方と飲み屋で一夜を明かした人。などなど。


私は、8時半まで会社で待機命令。

職場の方を車に乗せ、液状化現象している場所を避け、デコボコになってしまった

埋立地を走り、通常30分のところを2時間かけて帰宅しました。


会社では携帯電話のテレビしか見ていなかったので、自宅のテレビで現状を知ったときには

血の気が引きました。


震源地からは離れていたので、私の目で見た小さい被害ですが。

職場が断水でトイレが流れない。飲料、食料がない。家族と連絡が取れない。

交通マヒ。道は渋滞。徒歩で帰宅する人々の数。職場の被害。道の崩壊。

自分の経験は決して忘れてはいけないことだと思い、ここに残しておこうと思います。


たくさんの被害に遭われた方々。ご家族、知人が亡くなられた方々がおります。

何もできませんが、これ以上被害が大きくならないことをお祈りいたします。