2011年3月11日15時頃。私は、いつも通りに仕事をしていました。
埋立地に建つビルの上階なので震度5でも、揺れがすごく立っていられないほど。
ほとんどの人が、はじめて経験する震度だと思います。
ヘルメットをかぶり、机にしがみつきしゃがみ。
中々揺れが止まらない。
一度収まったところで、グランドに非難。
ガソリンスタンドの横を通る避難経路。
同じ敷地内には、ガスタンクやガソリンタンク。
避難中も、事務所に戻ってからも余震の連続。
実家とは割りと早くに連絡がとれたものの、旦那さんや旦那さんの家族と連絡が取れたのは
地震後3時間半がたっていました。
私は、携帯電話、会社の固定電話からひたすら家族5人(旦那両親兄弟)と固定電話2箇所(家と実家)
に電話をかけたのですが全くつながらず、メールの方が連絡が早かったようです。
ただ、旦那を含め家族は、メールの新着問い合わせの仕方を知らないと思います。
幸いなことに家族は皆無事でした。
友人からも多数のメールが来ました。
徒歩で数十キロを帰宅する人。電車がストップなので会社に泊まる人。
車で15時間かけて明け方帰宅した人。知人の家に宿泊した人。
電車が止まり職場の方と飲み屋で一夜を明かした人。などなど。
私は、8時半まで会社で待機命令。
職場の方を車に乗せ、液状化現象している場所を避け、デコボコになってしまった
埋立地を走り、通常30分のところを2時間かけて帰宅しました。
会社では携帯電話のテレビしか見ていなかったので、自宅のテレビで現状を知ったときには
血の気が引きました。
震源地からは離れていたので、私の目で見た小さい被害ですが。
職場が断水でトイレが流れない。飲料、食料がない。家族と連絡が取れない。
交通マヒ。道は渋滞。徒歩で帰宅する人々の数。職場の被害。道の崩壊。
自分の経験は決して忘れてはいけないことだと思い、ここに残しておこうと思います。
たくさんの被害に遭われた方々。ご家族、知人が亡くなられた方々がおります。
何もできませんが、これ以上被害が大きくならないことをお祈りいたします。