過ぎていった時は錬金術を使う♪ | 「私は区画整理地のまっただ中で笑うんだ♪」

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藤島住宅 岩原 賢太郎 の 営業日記

澄み渡る青空の下で、私はなんとも清々しい気分になっていました。

東京都豊島区のとあるお寺、

父方のお墓参りにやってきました。

 

毎年、お盆や正月休みを少し外した日程で、

家族を引き連れて、なんとなくあたふたとお墓参りをしておりましたが、

昨年から息子が幼稚園に入って、いよいよ無理が生じていると感じ、

このたび、ひとりでお墓参りに行くことにしたのでありました。

 

お寺の入り口付近、手桶と柄杓がおいてある辺りに備えてあった柄のついたスポンジを持ち出し、かねて用意の雑巾とたわしを使って、墓石を一通り洗い流す。

雑草も抜いているうちに、本格的な清掃モードになりかけましたが、手桶の水だけでは限界があるとすぐに気づき、出来る範囲で済ませることに落ち着きました。

 

そして、

何十本も束ねられた太巻きの線香に火をつける。

じっくりと、一本一本、きちんと火がつくように。

 

その煙が、今日の澄み渡る青空に舞い上がってゆく。

辺りにその香りがたちこめる。

冬の最中。

冷たい水の感触が残る中、青い空にその煙が舞い上がる風景と線香の香り。

浄化という文字が頭に浮かぶ。

私にまつわるあらゆるものが、その瞬間だけ浄化されたような清々しい気分になった。

墓前で手を合わせる時間がこれまでになく長く、意味のある時間のように感じられた。

それは私にとって貴重な「気づき」の時間であったように思えた・・。

 

 

私がこうして墓参りをするようになったきっかけを思い出していました。

もう15年以上も前の話になりますが、私が当時勤めていた不動産会社の向かいに焼き鳥屋さんがあって、学生街といえる駅前商店街の一画にあったそのお店は、『6人入ったらあとは立呑み』という風情が気に入っていて、私はよく一人でそこで酒を呑んでおりました。

一人と言っても、常連さんはほとんど知り合いなので、行けば必ず話し相手がいるような状況で、誰かを誘う際の気づかいが無用な点が、私のような身勝手な人間に合った呑み方だったように思います。

その常連さんの一人。私よりはるかに年配でしたが、年齢不詳、背が高く、顔はいかつい、いつも茶色いレンズの眼鏡をかけている強面の男性がいらっしゃいました。

その方は、3回に1回くらいの割合で、若い女性を引き連れて店にやってくるのでした。

 

「ケンちゃんよぉ、女は容姿じゃねえぞ、見る目養っとけよぉ?」

 

いわゆる綺麗なお姉ちゃんを連れていながら、そのようなセリフは何という事か。

 

「まあ、そうは言っても若いうちはなかなか難しいか。けどなあ、〇〇〇〇だけはやめとけよ、それだけは性根の部分だからよぉ、なかなか直らねえんだよ。苦労するからさぁ!」

 

実に含蓄のある言葉を筋もの顔で言われるとすごく説得力がありました。

〇〇〇〇の部分は言葉が汚過ぎてここでは書けなくて残念です。

 

当時、私が勤めていた不動産会社が管理する古いマンションに、何年も家賃を滞納しながら居住し続ける強者がおりました。社長が手を焼いておりましたが、あの方が説得に赴き、一発で円満退出させるという離れ業をなしたことも、あの方を語るうえで外せないエピソードとなりました。

 

ああ、実にあの頃が懐かしい。

 

その焼き鳥屋は毎年末12月31日まで営業しておりましたから、田舎に帰る金のない学生や私のように予定のない独身男にはありがたかった。

しかし年始はやはり、それなりに1週間近く休業となり、寂しさを募らせた私などは、年明け早々、お店に駆け込んだものでした。

その年、家族構成不詳のあの方も年始早々お店に顔を出されました。

「よお、けんちゃん!初詣はちゃんと行ったかい?」

そう聞かれて私は素直に答えました。

「彼女がいたら、行きたいところですけどね」

するとあの方は仰いました。

「ちゃんとお参りした方がいいぞ。せめて年の初め、一年に一回くらいはよぉ」

「そういうもんですか?」

「そりゃ、そうだよ。それからなあ、お墓参りだけはちゃんと行けよ。」

「ご先祖様を大切にしなきゃ、それだけはちゃんとしろよ!」

 

あれから私は年に1度か2度、お墓参りに出向くようになりました。

あの方に言われて義務感のようなものが芽生えたからです。

しかし、お墓参りに行かないとご先祖様に申し訳ない、何か不幸なことが起こるのではないかという気持ちが先立ち、無理やり行っているところがありました。

だからいつも慌ただしく、言うことを聞かない息子に苛立ったりしておりました。

 

しかし、結婚して以来、初めて一人でゆっくり時間をかけて、父方の墓と母方の墓と午前中をかけてお参りしたことで、お墓参りをすることで得られるものが何であるのかを感じ取ったような気が致しました。

 

あの年末から何年たったのでしょうか。

あの焼き鳥屋さんには足掛け7年くらい通っておりましたから、その何年目に前述のような年末のエピソードがあったのか、実際のところは分かりません。

しかし、十年を超える歳月を経てふと感じ取った大いなる感慨は、その歳月をかけて得るべき私自身の変化であるように感じています。

 

歳をとるって、嫌う人が多い気が致しますが、良いところもあるのかも知れません。

 

過ぎていった時が♪まるで永遠に続く土曜日の夜ならば♪今日は何曜日なんだろう♪(byブルーハーツ)

 

 

以上。

藤島住宅 岩原 賢太郎