「抗重力・重心制御作用」の筋機能から、合気道の呼吸力を探る
「合気道における呼吸力という力を、抗重力・重心制御作用の筋機能から明確化」
この見方を公開する目的は、「医学」において、もしくは「運動学」や、「トレーニング」という分野において、あるいは「リハビリテーション」において、とても誤解の多い筋機能について、その誤解が解消されるための重要な示唆を多く含むからである。
これまで筋機能は、それぞれ各筋の起始・停止を明確化し、細分化された見方については論じられてきたが、それらが統合され、さらに重力に抗って立ち上がり、直立姿位の重心が、その統合的身体機能において、どのように制御されているかということについては全く手付かずであった。
この筋機能における統合され制御された機能の見方には誤解が多いので注意が要る。
今日の医学領域では、(あまり大きな声では言えないが)ヒトの筋機能について分からないことの方が圧倒的に多いと言える。そもそもこの問題点がどういったことに起因するのかということすら見当がついていない状態と言えるかもしれない。繰り返しになるが、これまで医学は、ヒトの身体の筋機能について、断片的な視点しか見てこなかったからである。
即ち、筋機能なるものを解剖学的に見たとき、各筋肉の起始・停止というつながりを理解し、骨格筋は収縮によって力の作用が現れることを考慮して、その筋繊維に沿った運動方向を確認するという作業で、筋機能を分かったつもりで来た。
確かにここまで覚えるのもなかなか大変である。他にも覚えなければならないことが解剖学には沢山あるのでここにばかり時間は割けない。
ここまでの見方で「科学的トレーニング」という体系が完成するはずはないと断言できる。
にもかかわらず、昨今、科学的トレーニングという言葉が一人歩きをしている。解剖学や基礎医学を履修している。もしくはスポーツ医学の見解を履修している、ということで、科学的という表現は可能になるのかもしれない。が、スポーツの実践者にとって、医療的な専門家の言うなりになってしまうことにはやはり注意が要る。
この一人歩きについての理由を言うと、この科学的な見方で、合気道における呼吸力という力が「どういったものなのか?」ということを説明することはできない、ということにも由来する。
武術もそうであるが、スポーツの動きのほとんどが身体の動きの統合的合理性によって培われ、このための練習に終始する。ところが解剖学において、筋機能は断片化されたものからその学習が始まり、このレベルの学習に終始せざるを得ない。ここには科学的と言いながら細分化された見方だけであり統合的な視点が欠如しているということにおいて大きな矛盾を含んでいる。
筋機能や関節の動きについて最も知識が求められるのは整形外科領域であるが、特にリハビリテーションの身体機能の回復を模索する上では重要なものになる。スポーツトレーナーという役割もこの分野になってくる。
しかし周知のとおり、この分野は古くから代替医療という分野が在ってこの分野においても統合した見解には至らずに諸家林立した見解で終始している。
これも筋機能についての見解において統合的なその見方が確立されていないことに由来する。
医学も、スポーツ医学も、筋機能から見た、合気道のような動作の身体的メカニズムについて説明できるところまでは来ていないと言える。
何故なら医学や科学はヒトの身体の抗重力作用や重心制御作用について筋機能がそれらをどのように可能にしたか、という視点で見たことが無かったからである。
今、説明させていただいたように、科学は分析することが、その主たる解析方法なので医学も身体を細分化して、断片的に筋機能すらも見てきている。しかしスポーツという分野の身体の動きは一体性のある合理的・統合的な動作が常に求められる。この一体性の中に身体を動かす仕組みが在り、力を出すための理合いがあるからだ。
この合理性に、今日の筋機能という見方は追い付いていないのである。
私たちは直立に立っている。
この姿勢で巧みに重心を制御し、様々な運動が可能になっている。
この不思議な人の身体の作用を筋機能から見ようとしたことは今まで無かったと言える。
合気道愛好家の立場から言わせて頂くと、ヒトの身体の重心を制御している力には、意図的な力作用(力を出そうと思って出した力作用)よりも、その重心を制御するべく自律的な力の作用の方が強力で大きいということが言える。
『わがものと思えば軽し傘の雪』
と云う句がヒントである。
重心を制御している力は、意図せず、無意識レベルで機能していて、この力は、力を出しているという意識が無く、自然に力が現れていると言える。
はっきり言うと、意図的に力を出そうとするより、無意識に重心を制御している力の方が大きいということが言える。なぜなら私たちは、元気なとき「自分の身体を重いと思ったことは無い」からである。
ヒトの身体の重さ(体重)はそれなりにある。
その重さを支えて歩いていても、私たちは自分の身体を重いと思ったことは無いはずだ。
これも合気道の経験から言えることなのだが、意図的な力というものには予め「ある一定の限界」が設けられている。それは重心を制御している力に逆らわないようにするためである。安易に重心に逆らうように意図的な力を使われてしまうと、人の体は重心の安定を失い、倒れ転んでしまうからである。頻繁に身体が転んでいては生活上支障が出る。
ゆえに合気道では力を出すためにもっと力を抜けという指導がよく言われるのである。
力を抜くべきは意図的な力のことである。
無意識の力は極めて自然に自律的に作動し、力を使っているという感覚が無い。が、身体を立たせ無理なく歩くことが出来るように出来ている。
ここをよくよく注意して観察し、はっきり理解する必要がある。
抗重力・重心制御作用、身整式という私どもが日々行っている身体のバランスを整える方法はここから来ている。
この抗重力・重心制御作用の仕組みに沿って、身体(骨格)は歪み、(身体が歪むメカニズム)整復反応もこの反応系に沿って起こり修正される。
物療、という言葉があるが、身整式は、いわゆる物療「物理的な療法」ではなく、「体性・体性反射」、「体性・内性反射」「内性・体性反射」を使った生理的な骨格レベルの整復法である。
これらの反射作用は抗重力・重心制御作用に極めて密接に関わっている。
これらの反射は内臓の異常が体表の痛みとして現れる「連関痛」などによって観察されてきたが、身整式では抗重力・重心制御作用の仕組みに沿ってこの反射系が極めて規律的、自律的に作動していることを見てきている。
合気道の技法的な理合いもこれに依存する。
ヒトの身体の筋機能を考える上で、最も重要なことはヒトの身体は直立二足という直立姿勢で立つことを可能にして、さらにこの直立姿位を基本に、二本の脚で走り、変化に富んだ様々な運動が可能になっているという事実である。これは優れた重心制御作用に上に成り立つ人の身体の仕組みなのだが、元気なとき人はこれらのことを当たり前にやってのけるために、ここに注意が向くことがほとんどない。ゆえに断片的な筋機能を学習しても、そこにこの学び方でヒトの身体の仕組みの説明が付けられるのだろうか?という疑問も持つことも無い。
即ち、突き詰めて言うと、観察すべき注意の対象は、直立に立つ人の身体を、筋機能から見たとき、この身体がどのようにして立ち上がることができたのか、さらにこの身体でどのようにして様々な運動が可能になっているのか、ということに尽きる。
先ず、重力に抗って立ち上がることを抗重力作用と言う。もちろんこの言葉は医学的に時々用いられる。が、この本質をしっかり見て注意を向けようとした人は少ない。
医学的にここに重要な視点を言った人がいる。
ボバース概念のボバース夫妻もこの辺に着目した重要な史実だが、最も重要な発見をしたのは、側弯症体操であるシュロス法を創始されたカタリーナ・シュロス女史である。
彼女はマッスルシリンダーという表現で背骨を真っ直ぐにしようとする筋肉の反応を観察している。
この背骨を立たせるとき、脊柱起立筋はシリンダーのように作用するということを明らかにした重要な言葉であり発見である。
しかし今日シュロス女史が見たマッスルシリンダーの真意を探求しているセラピストはどういう訳かいないようなのだ。そのためか、シュロス法は「難解だ」とされている。マッスルシリンダーと言う筋の働きに相当する筋機能の言葉が基礎医学に無かったからである。身整式では、ここを明らかにするためにあらかじめ「それは毛細血管の血流圧を利用した膨張力である」と説明する。これが抗重力作用の本質である。
難解になったのは、この真実を断片化された筋機能の収縮・弛緩で見てしまったからである。
このシリンダーのように筋が作用するというのは、抗重力作用が現れるための筋がどのような力の出し方をするかという重要な示唆である。抗重力作用の仕組みを極めて明らかにしようとした言葉である。
この筋がシリンダーのように作用する力が、抗重力・重心制御作用にとって最も重要な筋肉の機能であると読者の皆さんは思わないだろうか?
例えば、力士の腰の重さ、合気道のおける呼吸力によって相手の身体を重く感じるというのは実はこの作用が大きく関係している。
マッスルシリンダーは身体を傾けることで発生するとシュロス女史は発見した。
力士は腰を重くするために四股を踏む訓練をするが、これは片足を大きく上げ身体を傾けることで訓練できる。
当り前であるが、人の身体はその重心が安定していなければその身体の持つ力は発揮できない。
どんなに筋トレ(これは意図的なレベルの力であることに注意)で身体の力を蓄えても、重心の安定した身体の動きが、それ以上に伴っていないと、その意図した力が空振りするということが予想できないだろうか?
この辺を段階的に学ぶのが合気道という稽古である。
合気道は受け身を取るにあたって足を上げ身体を傾けそれから転がる。このような動きも呼吸力養成にとって重要不可欠である。
ここまで書いてきたことの要点を、一度まとめておきます。
筋機能には「意図的な筋機能」と「無意識レベルで作用する筋機能」が存在する。
抗重力・重心制御作用という作用においては無意識レベルの筋機能が主動的に関与する。
抗重力・重心制御作用の主動力はシリンダー様の筋肉の力である。(膨張力・無意識レベルの機能)
意図的な力は過ぎると重心制御作用に負の力として影響する。表層筋(意図的な筋群)ばかりを筋トレで訓練してしまうとき、重心を制御している抗重力筋は委縮してしまうことがある。
ゆえに意図的な力の使い方は重心制御作用に逆らってはならず、寧ろこの自律的な重心制御作用と同化することを学ばなければならないということになる。
ゆえに筋トレに慎重姿勢を示す野球選手はこの事実を本能に立ち返り体験的に知っているのである。
一方、筋トレによって開花したノーラン・ライアン選手も存在する。彼は重心制御作用が予め体幹インナーマッスルが優れた選手であったと言える。先ほど内性・体性反射ということを発言したが、このような人は腸管も優れていて、それによって体幹インナーマッスルがあらかじめ豊かであるという特徴がある。
「気」は、始めに腸管(小腸の神経叢)に入り、次に体幹インナーマッスルの活動に関係する。ヨーガや合気道がこのレベルの筋機能に同化しようとするのはこの特徴からである。
合気とは、無意識レベルの抗重力・重心制御作用に逆らうこと無く寧ろ同化するように意図的な筋力を最小限で使い、力の出し方を効率化する方法を学ぶ一瞬一瞬の作用である。限りなく、現在の在るがままの自然作用(無意識下で働く森羅万象の源泉、)に同化することである。
さて抗重力・重心制御作用の主動的な力はシリンダーのように筋が機能することだ、と説明させて頂きましたが、これをもう少し掘り下げます。
以前にもこのシリーズで説明してきたことですが、このシリンダーのような作用とは、骨格筋の膨張作用であるということです。
全ての骨格筋にこの膨張作用は賦与されていて、それによって収縮という機能が可能になるのですが、起始停止という筋の構造に目が行ってしまうと膨張力より収縮という機能に注意が偏ってしまい、予め在る、膨張作用には注意が向きません。
ゆえに以前にも説明させて頂いたことですが、医学や解剖学において骨格筋に基礎的な膨張作用があるという言及は無いのです。
例えば車のタイヤも空気が入っていてこそタイヤであり、パンクした状態は不備であるとして整備された空気が入った状態から性能を考えます。
では病理学ならば、筋の膨張作用について注目し、ここから筋機能の不備という視点で捉え、その言及があったのかというと残念ながら、全く気付かれずに今日に至っています。
昨今、体幹インナーマッスルという骨格筋における深部の筋機能に注目が集まってきましたが、(これも高齢者の身体機能の低下した人のMRI画像から、大腰筋が委縮しその容量が極めて小さいという調査結果から注目された訳ですが)やはり筋肉は収縮するものという思い込みが先走っており、大腰筋の訓練方法も収縮させて訓練しようとする試みばかりになっています。これでは成果が上がりません。
予め膨張しているから収縮できるのですが容量の小さくなった委縮した大腰筋を収縮させようとするのは賢明ではありません。収縮はシリンダー反応、即ち膨張力とは反対の作用なのです。
これは側弯体操を研究する人々にも、この誤解があり、シュロス法を行う人々の間でも時折このような誤った試みをしているケースも少なくありません。マッスルシリンダーという概念は何処に行ってしまったのでしょう。明らかに起始・停止と収縮方向というところから筋機能を捉えてしまった弊害であり、部位的・断片的な理解で、身体の一体性を見るという視点からは大きく離れてしまった発想であるということに気付くことが出来ないのです。それ以前に膨張力というのがあるのです。
これは医療関係者に深いレベルでのスポーツ的な筋機能の体験が少ないままに、医学を学んでしまったことに由来します。
確かに今日ある教育課程で、この両方を両立させるのは極めて難しい話です。
最近、私が感心させられたのは、落合博満氏のユーチューブで、福本豊氏との対談で出た話です。
次の言葉は福本氏の発言の要約です。
「科学的トレーニングと言って、確かに部分的な力は付いとるかもしらんが、肝心の野球の結果に繋がってないやないか、全体のバランスが取れるように訓練せんかったら意味ないで・・・」という言葉です。
福本氏もトレーナーの勧めで科学的トレーニングを導入したキャンプが在ったそうなのですが、「自分の身体に合わんから、すぐやめた」ということです。
以前にも書いたことですが昔の金田正一氏がよく言われていた。
『走り込みを怠ったら投手は肩を壊す』
という言葉は、抗重力・重心制御作用の筋機能から見たとき、真実であることが分かります。
ランニングという有酸素運動は深部筋の膨張力を訓練し、関節の可動域を拡張した状態を安定させるからです。ゆえにすべてのスポーツ選手の基礎練習はジョギングくらいのランニングが重要なのです。走って身体をあっためてから、練習も試合も開始されます。
ところがこの有酸素運動を怠って投球練習をすると100球まで行かない、数十球くらいでも関節の可動域が萎縮し始め、球速やキレに翳りが出るはずなのです。
この状態で無理に投げると壊します。
これは無意識レベルの筋機能の訓練になりますが、投球数という球数を制限するより、有酸素運動の量によって、球数を投げたときどんな変化が現れるのかを経験した方が好いのです。
ゆっくりでもいいから、長い時間(30分から一時間くらい)走ると、疲労がたまって来ても関節の可動域が狭まらないはずです。投球数が重なって後半肩で息をして投げるような状況は、ランニングによるスタミナ養成が間に合っていない状況で投げていることになります。(もちろんプレッシャーに対する経験的な慣れも不可欠ですが)
野茂英雄氏はアメリカに渡る前に、最終的に鈴木啓示氏の助言を受け入れ、「一時間走」というゆっくりでもいいから一時間走るという訓練を導入しています。
全て昨今のユーチューブによって各氏の発言から私も知ることが出来たのですが、本人から聞くというのは重要です。
体幹深部筋や各関節の抗重力筋は膨張力が豊かで、有酸素運動を30分から一時間くらい行って、これらの膨張作用を訓練し、試合数をこなさないといけないプロ選手にとって、重要な訓練であることが分かります。
昭和の高校野球の解説でおなじみの松永玲一さんが社会人野球の監督だったとき、(森繁和さんのお話から)「今日はボールを持たなくていいから全員ずっと走っていろ」という走るだけという練習日があったそうです。
このような話を現代のスポーツ医学に詳しい人が聞くと、『非科学的だ』と言うに違いありません。なぜなら骨格筋の機能的な土台が有酸素運動によって訓練できる膨張力であるという見方の無い科学には確かに非科学的に見えるのです。
恐らく松永氏は選手たちの疲労が溜まっていると見て、このような状態でボールを使った練習をしても悪い癖が付くだけで、また怪我をしやすい、と感じたのでしょう。しっかり走らせて血液を循環させ、それから飯を食って寝るという方が、この日は良いと感じたに違いありません。と言っても6時間くらい走ってばかりだったそうですが、時々こういうことも必要です。延長18回という球史は「非科学的な訓練」と時代的背景で出来てしまいました。今の子供たちにはこんな試合は勧められません。
今日食物繊維の摂取量が減って腸管の豊かではないスポーツ選手が増えているので昭和のときのようには行かないのです。夏の気温も上がり過ぎています。
さあ、ここまでを理解して落合氏のユーチューブの出て来られる昭和の名選手の言葉を聞くと、重要なことが分かってきます。
昨今、武術系ユーチューブでも、昔ならば、秘伝として、そのほとんどを秘密のするような情報が、カメラを向けられるとギリギリの表現にとどまるとはいえ、話して下さるケースが多く、情報は豊かです。しかし基礎的な体の「身のこなし」を養っていなければ真実的に理解に至ることが難しくなります。
それは基礎的な訓練によって、無意識レベルの筋を発動させなければきちんとした理解に至らないからです。飽くまで、情報は言葉であり、意図的な理解で無意識レベルの訓練から注意が離れるということも考慮しなければなりません。映像があると言っても実際に体験しながら稽古しなければ「意図的な動き」だけでは真実的な動きが身に着いたことにはなりません。
抗重力・重心制御作用とは極めて自然なものです。身体の中で自然な作用はそのほとんどが自律的と言って、意図せず自然に本能的にそうなっていて、生理機能が可能になっているというものです。
それは呼吸のようなものです。呼吸も抗重力・重心制御作用も意図しなくても自律的に一定量制御されている生理作用で、脳の判断を仰ぐことなく、心臓の如く鼓動しているというような現れです。
私たちは様々な意図的な思考によって生活し、行動しているように思い込んでいるものですからこの予め備わっている土台的な生理作用には無頓着です。よくよく注意をそこに向けないと気付かないし、さらにこれを同化応用することも出来ません。
ここで重要な言葉をご紹介します。
これはカリアッパ先生が、中村天風先生に言われた教えの言葉です。
「お前は生きよう生きようとばかりしているが、どうして生かされている自分に気付かないんだ」
私も天風会の行修会に参加したとき、この言葉の意味が分かりませんでした。
しかし無意識の中にこそ重要な「生命の躍動」があるということに気付いたとき、この言葉の見え方は一気に変わります。
見方を変えると、合気道の「合気」とは「生かされている力」(無意識に潜む真理)に気付き同化することです。
生かされている力、すなわち生命の源は、私たちに確かに宿っている実在なのですが、これが日常的には、予め在るために、あまりに当たり前になってしまって、ここに感謝することもなく、無頓着ですっかり忘れ、無意識の奥に押し込めて忘れてしまったものと言えます。
これを忘れて、生きよう生きようとしても力むばかりで自然な力が出ません。
これらが抗重力・重心制御作用の筋機能を理解するための土台です。