終わらないかもしれない、というような感じの時間が、映画にもやはりあるのかなあと思ったのは、昨年末、テレンス・マリック監督の『Song to song』を観たあとのことでした。

初めて観た『シン・レッドライン』でこの人の映画を好きになり、ほとんど観てきましたが、この『Song to song』は、僕にとって最も奇跡的な映画と思えた『ライフ・オブ・ツリー』に並んで位置するような作品と感じました。

この監督の映画は「わかりにくい」と言われることが多いみたいですが、それは、もしかすると映画というものに期待される時間とは異なる時間が、この監督の映画には流れているからかもしれないと、僕は思います。そして、この時間感覚が、好きです。

映画には時間がともないます。ダンスにも、演劇にも、音楽にも、それぞれ時間がともない、その時間にどんな個性が宿っているか、僕はとても楽しみにしています。

時間には、非常に多様性があると思うのですが、とりわけ映画においては、なぜか、多くの場合それは結末に向かって速度を増していきます。そして、結末なる時点には、カタルシスや切断や問いかけが周到に用意されていることが多々あり、まるで観客の期待や満足に応えようとするように、終わって、いきます。

しかし、テレンス・マリックの映画には、そのような時間とはどこか異なった、独特の時間の流れや速度があるように思えてなりません。中断したり反復したりするドラマは、浅い睡眠のなかで見る夢のような断片的で儚い時間のようでもあり、デジャヴのようでもあり、ふとした錯覚のようでもあり、いったい、どこに向かってゆくのか、いったい、どのように終わりを置くのか、曖昧です。

見えるものが断片的であったり、断片的ゆえに意味が不明瞭であったり、ストーリーが把握しづらい、ということが、僕には、かえって、非常に現実に近いものを体験しているように感じるのです。

現実の時間というのは、必ずしも合理的ではなく、実際、おそらく僕が垣間見ることができる世界は、ごく断片的なものだけなのではないかと思います。

終わらないかもしれない、ということは、いつ突然に終わるかわからない、ということでもあり、それも現実と重なります。

僕は自分の人生を把握して生きているわけではないし、予測することも困難で、それゆえ、いまこの淡々と通りすぎてゆく瞬間瞬間が愛おしく思えるのですが、その感覚に、この人の映画は、ちょっと、触れるのです。

 

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