咲き始めた桜花を見て、思い出します。
感じられないものほど怖いものは無い、
ということを初めて思い知らされつつ見た、
10年前の桜花のことを。
感じられないもの、とは直接にはもちろん放射能のことですが、
そこから、いろいろなものごとに広がらぬわけもなく、、、。
震災時の原発事故のあと、寒さがやわらぎ花が咲き始め、
それと同時に放射能に対する意識が張り詰めていった記憶があります。
そして、なぜだったのだろう、
咲き始めた花の色が、かつてなく冴えているように見えた記憶が、
強く、あります。
あれは、あの奇妙にさえ感じた美しさは、なんだったのだろう、
と、今も思います。
〇〇ベクレル、シーベルト、、、使い慣れない単位とともに、「数値」が毎日知らされる。
数値でしか認識できない、知覚することさえ叶わない、そのような毒が天から降っていること。
実体として体内に入ってきている毒があるとしても「感じる」ことができない現実。
そのようななかで、鮮やかに色を放とうとする花々を見ながら、感情が昂ってゆくと同時に、
感じる事ができないものは、自分の頭で考え、想像力で向き合ってゆくしかない、という、
そのような、これまでになかった感覚が急速にリアルになりました。
放射能のことは、同時に、「感じることができないもの」の存在を意識するようになったきっかけになり、想像する力の重要さを、生活の中で、具体的に、思い知らされた時でもありました。
しかし、その恐ろしさは、原子爆弾の投下以来、何度も繰り返し訪れていたものなのに、頭で分かっているはずなのに、肌では肚では何ひとつ分かっていなかった。いまここにある恐ろしさは、僕ら自身の内にある認識や言論や行動の問題と深く根ざしてるものであること、この社会と人間の危うさにまさに自身が直面しているということ、なのだ。ということ、を、この出来事を通じて、突然に思い知らされたのでした。
それは、僕にとって、僕のダンスにとって、「重い」という他にない圧でした。
10年を経て、かつ、コロナ禍の只中にありながら、あらためて思い返します。
そういえば、このコロナが始まった頃も桜花がほとばしり、そこに、不意に、春の雪が降り積もって、
かつてない美しさだったのですが、、、。
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