お水取りが終わったら春が来る、という謂れを子どもの頃からきいて育ったからか、東京に暮らして30年を軽くこえているのに、いまだにこの季節になると二月堂のあの雰囲気まるごとが思い出される。そろそろお水取りも終わるのではないか、もう寒さはなくなって花がやってくるのではないかと、ソワソワしたような気分になってくる。

東大寺二月堂は奈良の街全体が見渡せる高台にあるから、あの有名なお松明の炎は、街そのものを清めてくれているようにも感じられる。もの心ついてから東京に引っ越してくるまで、行かなかった年はなかったかもしれない。

二月堂は僕の生家から歩いて30分少々のところだったから、毎年お水取りにお参りに行くのは習慣で、中学の頃に郊外に越したが、それでも学校は高畑にあったので、毎日東大寺や春日大社の敷地を歩いていたから、ちっとも遠くはなかった。

奈良の冬は乾いた風が強くとても寒いのだけれど、修二会の頃になると街全体の空気感が変わってゆく。肌に刺さるような寒さの中を歩いて、東大寺の広い境内を登ってゆくと、パッと目の前が開けて、僕たちを見下ろすような高台に二月堂が建っている。山々の神域と俗世の境目のような場所のようにも感じる。

夜が訪れるまで、高いところにあるお堂を見上げて今か今かと待っていると、ある時、僧侶の声や足音と共に巨大な松明が現れ、暗闇を一気に駆け抜けてゆく。そして、炎の玉が欄干から差し出されて振り回されると、周囲全体が明るくなるほどの大量の火の粉が降り注ぐ。これが終わって、人々の多くが帰路につき、暗闇が戻り、しんと静まりかえったところに、お堂の内部から朗々とした声明とダンダンと轟く僧侶の足音が深夜まで続いてゆくのだ。

いつもなら人でいっぱいだけれど、今年はコロナ対策のため非公開となったそうだ。その代わりに、12日夜は「籠松明」のネット中継が行われ、13日夜には堂内で深夜に行われる秘儀の全体が史上初めてテレビで生中継された。

ろうそくの火、深い暗闇、清めの水(洒水)を撒き、鈴を鳴らして祈る僧侶たち、床に全身を投げ打つ「五体投地」を含む「走りの行」、秘儀中の秘儀と言われる火の行法「達陀」。

奈良時代から1270年もの間、一度も途絶えることなく続いてきた行を、ここで途絶えさせないよう、あらゆる工夫を凝らして行われたという。

胸がつまる思いで、見詰めた。

 

 

 

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stage 櫻井郁也/十字舎房:公式Webサイト

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