ゲゼルマネーの面白さをたまに思ってしまうのですが、お金に寿命が無いのはなぜなのだろう、という疑問は、それを知るまでにも素朴にありました。お金に互換性があるのはなぜだろう、ということも、、、。
もちろん、それぞれ便利この上ないけど、貧富の原因のひとつは、お金が長く保存できて簡単にエクスチェンジ出来るからじゃあないのかしらと思ったり。余っても腐らずにあるから、めちゃくちゃに蓄えたりも出来てしまうのでは、というようなことも。いろいろ。
いまのところ、お金は経年劣化しないことになっていて、制度が変わって使えなくなることはあるけれど、鮮度とは別。古くなって使えなくなったりしない、というのは自然界には無い独特の価値だなぁと、ふと思います。
アタマで考え出されたものはなかなか自然には適応しないのかしらん。
あちこち異なる地域で換算できる、というのも便利だが自然物とは少し異なる。お金には寿命がなくて、お金の価値は多くの地域で換算できる。このシャカイの前提ともいえる事が、たまに、なんとなく気持ちが悪くなってしまうことがあるのはなぜでしょう。
たとえば、放っておくと朽ちて無くなってゆくお金をつくると、どんな暮らしになるのだろうか。お金と別の価値で生活をする地域が、出てきたりは決してしないのだろうか。たとえば稼いだお金は新鮮なうちに使い切る、稼いだお金は稼いだ場所で使う、というような習慣が未来にできれば、未来社会はどんなふうになるのだろうか。など、いろいろ妄想がふくらみます。
奇妙な考えだと思われるかもしれないが、お金が生き死にしないし腐らないというのは自然の法則とずれている気がして、その不自然さが、自然の範囲の差、程々の力の差というやつを崩れさせ、極度な格差や競争を人間のあいだに起こして共存を困難にしてしまっているのではないかと思えるときもある。お金には、必要以上の富や力を制限する役割を与えることもできると思うが、人間はいまのところ、そうはしない。
さまざま、お金についての思い巡りが、自分の中で最近ちょっと出て来ている感があります。
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