青空を壊しながら、
大地を失いながら、
生きている。
地の果てで、
ひとがひとり、
ひとつの、からだに、耳を澄ましている。
(櫻井郁也『LAND'S END』振付記録より)
月光ソナタは僕にとっては作品でもレッスンでも何度も取組んできた曲の一つで、おそらくこれからも長く付き合ってゆく音楽ですが、なかでも記憶に強く残っているのは、2008年に上演した『LAND'S END』という独舞の稽古と本番での経験でした。
この作品では、月光ソナタに使用されている音列やリズムを基調として非常に長い音楽を制作しました。また、原曲の楽譜を解体して演奏したものがダンスの進行に絡み合ったりということも行いました。とても膨大な作業量だったこともあり、何回か挫折しそうにもなったのですが、この時の心身両面での試行錯誤を通じて、体と自我の関係が大きく揺らいだように感じました。上のテキストと写真はそのときのものです。
どうしてこのように深い深い、そして哲学的な問いかけに満ちた音楽を、ベートーヴェンは生み出すことが出来たのだろうかと、この曲に身を浸すたびに圧倒されます。
ところで、この、ベートーヴェンの月光ソナタをモチーフに、10/1(木)のクラス「踊り入門」は踊りました。すでに何回もこのクラスでは聴いてきたのですが、この日は少し特別な雰囲気が漂っている感もありました。あの音のたえまない波のなかで展開した踊りの時間は、とても率直で、静かな熱に満ちているようで、心の眼が覚めるようでした。
10/2(金)のクラスは「ダンス・舞踏クラス」で、こちらは全く別の音楽で踊ったのですが、音楽との関係のみならず、踊る人と人のあいだに生まれてゆく様々な関係が鮮やかで、アグレッシブでもあり、すごく思いが溢れてくるのを感じました。ほとんど時間いっぱいを踊りまくったので、お話は来週にすることになりましたが、やはりダンスの原点を感じました。
ダンスというのは「いっしょに」ということに尽きるのだけれど、それは熱と熱がぶつかり合ったり交じわったりし続けることでもあると思います。そして「人格と人格の関係」とはまったく異なる「踊りの関係」つまり「エネルギーとエネルギーの関係」になってゆこうとするときにこそ、ダンスならではの場が発生して、身体が冴えてゆくのではないかと、あらためて思います。
※今日と明日は、本来なら秋のソロ公演の本番日でしたが、またコロナのために中止になりました。別の発表方法ではなく、本来の生身の場所として次の公演のチャンスを探っていきたく思います。みなさま、どうぞ、お見守りいただけますよう、お願い申し上げます。
_____________________________________
舞台活動についてのご案内を掲載中です。
募集情報 レッスン活動を再開しました。ぜひ踊りに来てください。
・コンテンポラリー/舞踏(メインクラス)
・基礎(からだづくり)
・創作(初歩からの振付創作)
・オイリュトミー(感覚の拡大)
・フリークラス(踊り入門)