「なまあたたかい暴風が吹きはじめていた。
雨は時たま、わずかにふるだけだったが、
空気はしめって、
よどんで、
腐敗物のにおいにみちて、、、。」
という、トーマス・マンが書いた言葉を思い出すことがこのごろ多い。コレラのパンデミックを背景にした小説『ベニスに死す』のなかの一行。もちろん、いまコロナ禍がいいかげんにしてほしいと思うほどだらだらと長引いているこの先の見えなさが重なっているのかもしれないけど、、、。
なまあたたかい暴風、、、。
どことなくそれは現代の僕らの場所に吹く風のことみたいに、思えてくる。
風の温度に、風の湿度に、
言うに言えぬ言葉や、眼に見えないまま私達をかこむ現在の檻が、
溶け込んでいるのかな。
風は身体にさわる、さわることで何かを伝えようとする。
風は身体を包み込む、包み込んで何かを染み込ませようとする。
風とは何かしら。暴れる風とは、、、。
ボッカチオの「デカメロン」やデフォーの「疫病流行記(ペストの記憶)」やカミュの「ペスト」などパンデミックを扱った名作文学も示唆的だが、僕らのこの現在の雰囲気のとても深部にどこか重なるものが、マンの文章には強くあるように感じてならない。ゆっくりと崩落してゆく世界、あるいは、、、。
同じ小説のなかに、もうひとつ、ずっと気になっている言葉がある。
「われわれにはまいあがる力はなくて、
ふみまよう力だけしかない、、、。」
この言葉は希望や励ましなどからは遠いかもしれないが、なぜか強いリアルさ確かさを感じてしまう。
「地を踏み、地を迷い、地を探し、地に問う。」
というのは上演延期となったままの新作ダンスのメモの一部。
踊るとき、僕は目の前に無限大の迷い道があらわれるような気になることが多い。
「とてつもない迷宮が、生きる僕らの前にはひろがっているということが、いま、1年ちかくかけて、日に日にハッキリしてきている感じがして」
これもまた同じメモの一部。ここから。
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