「危機に立つ肉体」という言葉を、よく思い出す。土方巽さんの言葉だ。1月21日が命日だった。

 

僕が舞台を観ることができたのは、もう亡くなる前だった。有楽町で行なわれた大規模な公演週間(舞踏懺悔録集成)を観たあとだったかもしれない。スタジオ200という、池袋の西武デパートにあった小さなスペースで続けられていたシリーズに通った。『東北歌舞伎計画』と題されていた。

 

ただならぬ雰囲気がたちこめ、何者かが出てきそうな、そこはかとない予感がただよっていた。本人は舞台に出てこなかったが、なぜか存在感がする。何人もの人が舞台に立っているのに、一人の個人に向き合っているような、とても個的な空間にいるような気持ちになった。

 

何回目だったか、暗転の暗闇が、緊急事態のように深く果てなく感じられたことがあった。おそろしいスピードで裸の女の人が走って消えたら、真っ暗になった。そのとき、もう明るくならないのではないか、、、と感じ思った。いや、もう明るくならなくたっていい、と思ったのかもしれない。

 

あの闇は、ひどく緊迫感があったのだが、同時に、溜め息のような甘美な闇でもあったのだと思う。狭い会場に仮設された舞台は、黒い十字架のカタチをしていた。

 

舞台で踊る土方巽さんを見ることができた人たちのことが、ちょっとうらやましかったりするが、それはどうにもならない。ダンカンもニジンスキーも、ドンも武原はんも、同じ時を生きた人でなければ、観ることができない。同時代性が舞踊の宿命なのだからしかたがない。

 

踊る人と観る人が、同じ空間・同じ時間のなかで息を交わしながら、いっしょにひとつの場を生成してゆく。踊りという行為を通じて、場の生成を通じて、僕らは生命を体験するのだし、同時に、現在という刹那を味わうのかもしれない。そのようなことが、ずっと長いあいだ、受け継がれ伝わってきているのではないかと思う。

 

土方巽さんの舞台に出会ったのは大学に入った直後だったが、それは春闘さえなくなりつつあった80年代の始まりの頃で、情念から逃げ出すような雰囲気が時代に充満していた。時代という言葉それ自体がなんだか古びてきていて、実体のない頼りない時間の流れのなかに漂っているように感じ始めていた。

 

何に対してだかわからない怒りが僕にはあった。その怒りに冷水を浴びせるようなぴしゃりとした感じを、土方巽さんの舞台に感じた。肉体、存在、そのような言葉が消し去られてゆくように感じた。映像でもないのに、現実がフラッシュバックのように短い断片に切断され、めちゃくちゃにモンタージュされてゆくようにも見えた。

 

思い出す。地鳴りのような音、唐突な転換、じっとしている人間の体、、、。暗闇の中で、圧倒され、しかし、なにか不可解な欠落感をも感じていた。会場には独特の興奮がいつもあって、入り込めない感じもあった。しかし、土方巽という存在がなければ僕の現在は大きく違っていたかもしれないと今は思う。

 

舞踏、という言葉を通じて、あるいは態度を通じて、この人は何を僕らに突き付けようとしていたのだろうか。亡くなった、という貼り紙がスタジオ200のロビーに掲示されていたような記憶がぼんやりある。あれから30年以上になることが信じられない。当時の舞台で味わった感覚が生々しいまま消えない。

 

亡くなった冬、僕はまだ踊りを学び始めたばかりだった。

 

 

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