し「目をすましけり」という言葉をきいた。平家物語にあるのだという。目をすます、というのは変わった表現だが、なんだか踊りを観ている時の感じに似ているように思った。
ひとつの肉体を、とても、じっと、見る。一挙一動を見逃さないようにする。
僕は作品を上演するが、ダンスのそれは結果ではなくて、原因だ。作品には問いかけがあるが、それはダンスを起こすための導火線かもしれない。あるいは肉体に落ちる雷みたいなものかもしれない。肉体が、踊りが、作品というものを超えて、なにか本当に言葉にならないような瞬間を生み出すことが出来るかどうか。そこが、とても大事だと思っている。
踊りを観るというのは、生きている人間が生きている人間を全身まるごと見つめ続けるのだから、思えばとても日常ではない。本を読む面白さとも、映画から受ける感動とも、根からちがう体験がある。人を、空間を、そこから広がってゆく何か無限のものを、じっと見つめる。目をすます。
言葉を使わないぶん、想像力が鋭くなっている。さまざまなものに宿る心がそのまま目に見えると思う。
呼吸で、皮膚で、あらゆる感覚で瞬間瞬間を感じることが、ダンスにはとても大きいから、ダンス公演の会場というのは、生身と生身が対峙し、呼吸と呼吸の関係がつくりだす生きた空間になるのだと思う。
息や熱を、高まりや鎮まりを、ともにする場。生身と生身の関係のなかで、想像力が冴えてゆく場。
そのような場を紡ぐ踊りができれば、感覚と感覚が響き合ってゆくような空間を構築することができれば、いいなと思う。新しい力を生みたいと思う。
公演が近い。二日間、それぞれの舞台。全身全霊で挑みたい。
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