踊るということが、何かを受け止めるということに、深い関係があるように思えてならない。
もちろん積極的にはたらきかけ、何かを興してゆくのだが、それと同時に、踊る身体は感動している身体でもあるし、同時に、あらゆるところに神経のアンテナをはりめぐらせてさまざまなものの感情を汲み上げ続けている身体でもある。だからこそ何かに動かされるのだと思う。
られる身体。という言い方はへんかもしれないが、そうとしか形容できないような身体の感覚が、ダンスの渦中で生まれているのを感じることが、僕の場合は、年々多くなっている。
揺さぶられる身体、振られる身体、そうとしか形容できないような存在の仕方が、踊る身体には内包されてあるのではないかと、思えてならない。
昨年の京都公演をきっかけに、そのようなことが、気になってしかたがない。いま稽古中の秋公演にも、ひびく感がつよい。
能動的な身体と受動的な身体では、やはりそのまとう雰囲気もちがう、その発する色彩感もちがう。そこを往復しながら何か出来ないかと、おもっている。
られる身体とは受動体である。客体である。意思よりも感受のからだである。感応である。作用である。
からだが極度に踊りに近づこうとする時、肉体から私個人は振るい飛ばされ、肉体は形そのものになろうとしたり、速度そのものになろうとする、そうなのではないかと思う。
stage info. 櫻井郁也ダンスソロ公演情報(公式webサイト)
11/9(土)〜10(日)新作公演決定
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