「どのような瞬間にも、どのようなものにも、永遠はある」

という言葉をみつけて、つっと、胸が痛くなったことがある。
ヴォルスという画家のことばだった。

画集を貸してくださった方があって、この人の絵を見ながら数夜をすごした。

ぼんやりと眺めるという感じではなかった。
凝視したくなる、というか、すみずみまでくまなく見つめ尽くしたくなるのだった。

僕の内部はたいてい揺れていて、うつろいつづけている。
そんな内的な流動にちかい運動が、彼の絵には宿っていると感じた。

決してとどまることないうつろいがそのまま、二次元の空白におどっているみたいだ。

とりわけ、「裸体の花」という絵には眼が釘付けになった。
サルトルの『食糧』のための挿画だった。

見つめていて、これは絵でありながら詩でもあるのではないかと、思った。
絵から声が聴こえてくるように思えた。
いや、ちがう。

出ない声をしぼりだそうとするような喘ぐような、
なにか切羽詰まったようなものが、絵からこちらに向かってくるのを感じたのだった。

絵のなかの線ひとつひとつの、か細い力学のなかに、無数の時間が交差しているように思えた。
線そのものが、いきものめいて、気がつかぬまに動いているのではないか、なんて思えた。
すこしこわくもあった。生き物とくゆうのこわさ、だった。

初期には写真家として知られたそうで、そのころの作品のなかにもドキッとするものがあった。
女性のポートレートで、実に美しい繊細な写真だった。
余白に(アウシュビッツの火葬炉でナチスに殺された女)と記されていた。

この画家に、あらためて興味をいだいた。もっと味わってみたくなっている。



ダンスノート




櫻井郁也ダンスソロ新作公演『トラ・ラ・ラ』
公式webサイト

4/6〜7 東京・plan-B
SAKURAI IKUYA DANCE SOLO "TORA LA LA"
6th and 7th Apr.at plan-B,Tokyo