メープルソープの被写体になると一体どんな気持になるのだろうか。そんなことをたまに思う。彼の作品は写真だが、僕はなぜかそれらをダンスと限りなく近いものに感じてしまう。冷たいのに燃えている。静かなのに激しくざわめいている。定着されているのに刹那的な魅力に溢れている。好きだ。

初めて知ったのはパティ・スミスのLPジャケットだった。だから彼女のささやきやさけびを聴くときは、いつもメープルソープを見つめていた。やがて写真集を買って、とりわけ百合の花の写真をよく見つめていた。見つめる。そう。彼の写真は、眺めるでもなく鑑賞するでもなく、見つめる、しか仕方がなかった。それは人間のようだったから。

それは視線と身体の関係で、身体と精神の関係で、虚と実の関係で、意味と無意味の関係で、エロスと思考の関係で、、、。何が何だか分からないが、メープルソープの写真には、とにかく関係を意識せざるを得ないような存在感を感じる。無数の関係が写真にひしめいていて、それは一つの世界を体現しているというより、いくつかの途切れたものが重なり合って同時にうごめいているような感覚を、いや、矛盾した言い方をすれば沢山のものが無関係のまま深く関係し絡まり合っているような感覚を、僕はいだいてしまう。そして、胸の奥や足の裏を、くすぐられるような妄想に呪われてゆく。

グッゲンハイム美術館でロバート・メープルソープの展覧会が1年間にわたって開催されることを知った。重要な出来事だと思う。
Implicit tensions;Mapplethope now



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【活動】
performance ダンス公演

lesson 教室