
これは前に掲載した写真ですが、今回のソロ「かなたをきく」の原型が思い浮かんだところで撮影した景色です。
去年の、まだ夏で、蓼科でした。
すごくその日は空気が乾いて軽かったのをおぼえています。
この写真の場所は少し山のなかの道ばたなのですが、とてもしんとしていました。
そして、非常に非常にちいさな微細な音が、空中に舞い散らばっているように思えました。
それは耳には聞こえないけれど実感として存在感を感じる音でした。いいかたを変えれば、聴覚とは別の器官で「きいている」音でした。
音というのは、僕にとっては、踊りの元素とも言えます。
しかしそれは具体的な可聴音ばかりではありません。
むしろ、まだ耳にはとどかない音と言ったほうが良いかもしれません。
あるいは踊りと音がいっしょに生まれてくると言ったほうが近いかもしれません。
音は実際の空気や鼓膜の振動ばかりではなく、沈黙のなかにも非常にたくさん響き渡っているように思えてなりません。
空間中をさまよう微粒子のひとつぶひとつぶの内部の沈黙、私たちのからだの細胞の奥の沈黙、精子が激しく動き回ってお母さんのお胎にかけのぼってゆくときの叫びのような沈黙、、、。
沈黙というものには原始的な音がひそんであるように僕には思えてならないことがあって、そのことを、この場所でおもっているなかでのことでした。(つづく)
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ダンス公演情報(櫻井郁也ダンスソロ最新作)
SAKURAI Ikuya Dance performance : Stage information