個人的なことですが、モーリス・ベジャールの作品にはとても大切な何かを与えられたのではと思うことがたびたびあり、その重さを感じます。

言いだせばキリがないのですが、とりわけ強く記憶に残っているものが幾つかあり、例えば一つは忠臣蔵を題材にした「ザ・カブキ」で東京文化会館。カタチなるものというか、見つめられ見つけられた何か、というような印象が身体にも光にも音楽にも強烈で、内部に爆発してゆくような人の姿は、力強い動きの連続でありながら、どこか屏風絵のような空気を感じました。

また別の記憶には「マルロー、あるいは神々の変貌」があり、これはシャトレ座で観たのですが言葉が全くわからず題材も色々な意味も後になってわかったのに、とても感じ入ってしまい、ラストの永遠かと勘違いするほど繰り返す動きと音楽が、あるいは筋肉と吐息のリズムが、淡々と、淡々ゆえ凄まじく、座席にグッと押さえつけられた。実に沢山の作品を上演したベジャールの「生み」の場を、この作品のラストでは感じていたのかもしれません。いまも脳裏にくっきり。

また、ベジャールを初めて知ったのは中学のころでしたが、それは写真で「春の祭典」の一シーン。

体操をやめなぜか音楽に興味が出てオケでティンパニをしていたのですが難しいけれど実に楽しく、色彩的なプロコフィエフやストラビンスキーの音楽にも好奇心がわき、また驚き、それでバレエ曲の本や雑誌を色々読んでいたなかに、目を釘付けにされた一枚の写真があり、ハルサイって実際にはこうなるのか、凄いな、なんて、じっと見つめてしまったその写真が、ニジンスキーのそれではなく、ベジャールの舞台の一シーンだったのです。

ただ惹かれ、レコードの音楽を聴きながら、その身体がどんなふうに動くのか想像を膨らませていた覚えがあります。まだ1970年代で今と違って簡単に動画など見れなかったから、止まった写真から動きを思い描く。それがまた楽しくもあり、一枚の写真一瞬が鑑賞への扉になっていました。

そこに公開されたのが映画『愛と哀しみのボレロ』で、これで初めて動きを観た。大スクリーンに映し出されたのはジョルジュ・ドン。その人が踊るシーンは当時の僕にはかなり刺激的でした。
たしかエッフェル塔前でしたか、例の「ボレロ」はもちろん、途中にあった「第七シンフォニー」を踊ったシーンは、身体にあらゆる感情が反射しているようで、見つめていると辛いことや悲しいことが柔らかくなったり、何かと自信を持てないでいる自分が勇気づけられているように感じました。

ベジャールの作品にふれてから、、、。

しばしば思い馳せざるを得ない人物の一人が、モーリス・ベジャールです。きょう11月22日は没後10年の命日です。


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