ある人と飲んでいたとき、お喋りの中身もさることながら、声に聴き入ってしまった。

声からは喋りの中身よりもはるかに沢山のことが聴こえてくるように思えた。その、、、「人が聴こえてくる」とでもいえばいいのかしら。

ある人と、故人の声を思い出しながら互いにしばらく黙っていたことがあった。
人を思い出すときも、なぜか声が耳をさわる。

かくかくしかじかとどうでもいいような話をしていただけなのに、ああ話が出来て良かった、と心が震えていたりする、そういうこともたまにある。

耳をつらぬいて心に入ってくるのは、明晰な言葉ばかりではないのだろう。

声に人を思うのは、その声に溶け込んだ何もかもが響くからだろうか。