踊る、ということに関わっていると、様々な「せかい」を知ることよりも、多数の「ちしき」を得るよりも、少なくてもいいから確かな「関係」を、そして血の通った「体験」をこそ、ほしいと思う。

そして、わかった、ということよりも、わからない、ということのほうに、近づきたくなる、感じたくなる。関係し、体験したくなる。

わからないけれど、わかりたい。わからないけれど、わかろうとする。
ということには、泣かされたり、笑わされたり、矢張りする。

からだで動く、というのは、
笑われたり、泣かれたりすることだからかもしれない。

いくら何かを知っていても、さびしくなるし、分かったことのなかにいるだけだと、きっと、ささくれだつ。

色々な、わからなさ、とか、形容できないほど馬鹿な何かが、たくさん降り積もり、「胸」や「背中」が出来てゆくのかなあ、とも思う。

踊るたび、ばかな胸のアバラと、むぼうびな背中と、わからないけれど思う思い、というような「なにか」を追いかけているように思う。

思いながら、少しおそろしくもなる。

そこはかとなく見知らない、からだ、という何か、が、ある。


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レッスン

ステージ
7月29〜30(土・日)新作公演