稽古。ループするサイクルで「踊る時間と場所」を持つ。

これを保つことは面白いことだと
最近また思うようになっている。

時を、
場所を、
呼吸する。

一定のサイクルを保っていると、色々な変化の訪れを感じる。

悩ましいとき、健康なとき、病いにあるとき、多忙なとき、一人になりたいとき、感極まるとき、淡々たるとき、、、。

ときは色々であり同じときはあるわけもない、(それは同じからだが無いのと似て天然の特徴か)、そのたび、カラダの動きが変わり、音の聴こえ方や、場所での居方や、発想もイメージも、変わる。

集中して踊ったあとは体が軽い。自分も軽くなる。
踊ろうにも踊れないときは、何かが滞っている。
のんびりする。息の音に耳を澄ましたりも。

ともかく、
カラダに自分を合わせる。

そうすると、カラダが自分のことを教えてくれる。
踊るサイクルは知るサイクルでもある。
ダンスは、カラダは、自分の今を教えてくれる。

自由以前にまず自在であること。
そこへの、空白、あいだ、とき、、、。
それらのなかに稽古の面白さ貴重さがあるのかもしれない。

ゆるめ、ゆだね、感応し、動かされ、そして。
それを繰り返してゆくと、身体の中から何か様々なシグナルのようなものが出てくるような気がしてくる。

身体は変わる。

一瞬一瞬の、一歩一歩の、
すべての連続と非連続の、、、。

すべての未完の、
すべての持続の、
すべての初めての、、、。