きょう11/17木曜日の夜は、「追加クラス」を行った。
僕は幾つかのクラスを開いているが、そのどれかに入っている人なら誰でもいつでも参加できる、いわばセミオープンの稽古だ。西荻窪の「ほびっと村学校」で開催している舞踏クラスの方々から、もっと稽古日を増やそうよ、というお声をいただき、スタートした。
その日に集まったメンバーや人数に相応しい内容を決め、2時間、結構集中して、踊り、また、語らう。
普段のお付き合いから、この人にはこういう稽古をお付けしてみたい。そんな思いを反映できるクラスでもある。
だから、内容的には、テクニックを深める日もあるし、面白い音楽や言葉を紹介して身体の表現にしてみる日もあるし、完全即興を楽しみながらダンス談義に花という日もある。
きょうはお題を共有して踊る稽古だった。
「ばね」
それが今日のお題。
つまり今日集まり得た人たちからインスパイアされた投句だった。
ばね、というこの一言から自由にイメージし、動き、踊る、また変化してゆく。
シンプルに解釈してカラダのあちこちを「ばね」にするも良し、踊るあいだに逸脱するも良し、、、。
もちろん、ずっと動きっぱなしでなく、他の人の行為を眺め味わうのも良し。
(仲間の動きを見れるのは本当に勉強になる。劇場で見るダンスと違い、模索中・作業中のカラダを見せあえるのは貴重で、クラスという場を得た人の特別な体験だ)
ばね、バネ、発条。
たわみ、
弾み、
渦巻き、、、。
蓄積かつ発散されゆく、もの/こと。
その身体感覚、体験。
ばねを孕むチカラ、カラダの構造にも沢山のばねは含まれている。エトセトラ、、、。
時に休み、話しながら、様々な方向に、
思考回路を、
感情を、
意識を、
膨らませてゆく。
そして、また踊る。
そして、身体を認識しなおしたり、
そして、何かに挑戦したり。
3分くらいのセッションを何度も繰り返した。
繰り返すうち、動きが出て、集中が高まり、熱を孕む。
どうしようかな、と強張っていた感じが、色々試行錯誤しているうち、だんだんと小難しく考えなくなってゆく。比例するように、カラダはばねバネ発条(発情?)そのものに、いつしかなってゆく。
思考回路にも弾みがついていたのだろうか、シメの対話の時間には、僕も何だか話したいことが噴出して、踊る人たちの口からも、あれこれ面白い言葉がポロポロ漏れて、会場を片付けながらも話し続けて、お疲れさままたこんど、となった。
きょうは整理整頓されたレッスンというより、ひとつの言葉からはじけて色々なグルーヴが生まれる感じの稽古になった。
それは、ひとつの言葉を起爆剤にして心身が跳ね、はじけてゆく、というプロセスを体験していたのかもしれない。
カラダを、動きを、呼吸を、鼓動を、たっぷり楽しんでもらいたい。
楽しむことから踊りは生まれ、楽しむからこそ身体は息吹き活きて変化する。それはオドリならではの時間。
なんだか、カラダも言葉もバウンスしているようだった。あっという間の2時間だった。
__________________________________
櫻井郁也ダンス公演情報
※ただいまは10月末に行なった公演の情報を掲載しています。次回の公演日程など、いましばらくお待ちください。
レッスン情報
僕は幾つかのクラスを開いているが、そのどれかに入っている人なら誰でもいつでも参加できる、いわばセミオープンの稽古だ。西荻窪の「ほびっと村学校」で開催している舞踏クラスの方々から、もっと稽古日を増やそうよ、というお声をいただき、スタートした。
その日に集まったメンバーや人数に相応しい内容を決め、2時間、結構集中して、踊り、また、語らう。
普段のお付き合いから、この人にはこういう稽古をお付けしてみたい。そんな思いを反映できるクラスでもある。
だから、内容的には、テクニックを深める日もあるし、面白い音楽や言葉を紹介して身体の表現にしてみる日もあるし、完全即興を楽しみながらダンス談義に花という日もある。
きょうはお題を共有して踊る稽古だった。
「ばね」
それが今日のお題。
つまり今日集まり得た人たちからインスパイアされた投句だった。
ばね、というこの一言から自由にイメージし、動き、踊る、また変化してゆく。
シンプルに解釈してカラダのあちこちを「ばね」にするも良し、踊るあいだに逸脱するも良し、、、。
もちろん、ずっと動きっぱなしでなく、他の人の行為を眺め味わうのも良し。
(仲間の動きを見れるのは本当に勉強になる。劇場で見るダンスと違い、模索中・作業中のカラダを見せあえるのは貴重で、クラスという場を得た人の特別な体験だ)
ばね、バネ、発条。
たわみ、
弾み、
渦巻き、、、。
蓄積かつ発散されゆく、もの/こと。
その身体感覚、体験。
ばねを孕むチカラ、カラダの構造にも沢山のばねは含まれている。エトセトラ、、、。
時に休み、話しながら、様々な方向に、
思考回路を、
感情を、
意識を、
膨らませてゆく。
そして、また踊る。
そして、身体を認識しなおしたり、
そして、何かに挑戦したり。
3分くらいのセッションを何度も繰り返した。
繰り返すうち、動きが出て、集中が高まり、熱を孕む。
どうしようかな、と強張っていた感じが、色々試行錯誤しているうち、だんだんと小難しく考えなくなってゆく。比例するように、カラダはばねバネ発条(発情?)そのものに、いつしかなってゆく。
思考回路にも弾みがついていたのだろうか、シメの対話の時間には、僕も何だか話したいことが噴出して、踊る人たちの口からも、あれこれ面白い言葉がポロポロ漏れて、会場を片付けながらも話し続けて、お疲れさままたこんど、となった。
きょうは整理整頓されたレッスンというより、ひとつの言葉からはじけて色々なグルーヴが生まれる感じの稽古になった。
それは、ひとつの言葉を起爆剤にして心身が跳ね、はじけてゆく、というプロセスを体験していたのかもしれない。
カラダを、動きを、呼吸を、鼓動を、たっぷり楽しんでもらいたい。
楽しむことから踊りは生まれ、楽しむからこそ身体は息吹き活きて変化する。それはオドリならではの時間。
なんだか、カラダも言葉もバウンスしているようだった。あっという間の2時間だった。
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櫻井郁也ダンス公演情報
※ただいまは10月末に行なった公演の情報を掲載しています。次回の公演日程など、いましばらくお待ちください。
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