独舞の稽古を再開した。
今回上演の反省反芻が始まったばかりだが、いまならではの何かを逃したくない。

作品という、いくさのごとき地平から冷めたとき、やり尽くしたという実感とは別に、へとへとになって辛うじて立っている肉体があるのも確かだ。

しかし、身体の奥の奥で息をしている野性というか、あるいは生き物の原型というか、何かが疼くように感じてならない。

何もない場所に身一つで立つとき、無性に、そういったものが、新たな鎌首をもたげて苛立ったいることを感じてしまう。

踊りは地を踏むことから。なのだが、僕の場合は踏みしだくというか、踏み叩くというか、、、。

僕らの身体は時代とか社会なんかを生きているのではなくて、むしろそんなものに犯されまいと鼓動し呼吸し病をして沢山の沈黙シグナルを発している。

発狂や錯乱をも受容するダンスなる行為はイマココからの脱獄か、逃走線か、それは判らないが。とにかくオドリを抑える意味はどこにもない。

さて、何が始まってゆくのだろうか、、、。

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櫻井郁也ダンス公演情報 
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