『ゆれる』、『ディア・ドクター』。西川美和監督の映画を観て、一過性の感激に収まったことはない。

見終わった瞬間の何とも言えない複雑な気持ちが日増しに肚に収まり、家事をこなしながら、あるいは喧騒のなかを帰宅する途中で、ぽつりぽつりと彼女の映画から呼吸したであろう情景や台詞や表情の断片が浮かび消え、実際の日常と重ねて味わっている、気付けばそんなだったりする。

幸福と不幸が光と影のように同居しているような、いや、そのどちらでもなく同時に両方である中間点、つまり僕らの毎日の底にある波のようなものを克明に映し出すような
スクリーンを見つめ、見つめるうちに息をころし、ある種の重量を抱えて、僕らは彼女の映画から日常に戻ってゆくのだと思う。

そして彼女の映画を観ることによって明らかに少し日常に対する視点がポジティブになっていることに、ある日気づくことになる。

おそらくそれは、決して他人事では済まされないような心の裂け目や傷や恢復のプロセスが西川監督の映画の中に秘められてあるからなのだろう。

きょう観た『永い言い訳』という新しい作品もまた、そのような、デリケートに胸の奥に触れるような、作品だった。このような映画をつくる人がいて、その映画を観る機会があること自体、とても贅沢なことかもしれないと、思った。