ダンスの稽古は一挙一動に愛情を注ぐ稽古だと教わりましたが、僕の場合は逆に、動きに愛情を注がれる、という実感がしばしばあります。

自分がカラダを動かすよりも、カラダが自分を動かす。
自分が踊りをコントロールしているのではなく、踊りという何か大きなものが自分をコントロールしているのではないか。

ワタクシの以前にカラダがあり、カラダの以前にオドリがあって、そんな感覚が、、、。

毎夜の稽古が楽しみで生きているようなこともあり、クラスも舞台も、恵みのように思えてならない。

淡々としているが、非常に緩やかな変化の、確かさは踊りが教えてくれたと思う。小さなカラダのなかに広い世界があることも。いつも踊ってイルということが大切な仕事なのではないか、と、いつしか思っています。

何かつっかえているものがすうっと抜けていくまで息を長くして自分の体重をたっぷり感じてゆくと、空気や音や匂いがアンテナを研ぎ澄ましてくれる感じがしてならない。そんな空間のなかで、たまに思うのは、ワタクシがカラダを持って生まれたというより、カラダがワタクシというものを発生せしめたのではないかという感触です。あと、このカラダがなぜここにあるのかという不思議であります。

人が作ったものには一々理由があるが、このカラダは人が作ったものではないから、星や時間と同じで、理由など無くても存在できるということかもしれないが、ともかく、カラダがなぜこの世にあるのか、なぜ出来たのか、解明されていないのだから、面白いなぁと。思うのです。